和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

春のざわざわ

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春のざわざわ

私はこれまで、季節の変わり目には心が不安定になるものだと思っていました。春のざわざわ。原因の分からない不安感。桜の花が綻び、心地の良い気候に変わっていくのに反して沈みがちになる自分の心。仕事のことで悩むことなどないように“距離”を取ってきたはず。それ以外に思い当たるものは何かと頭の抽斗からあれこれと引っ張り出してきては原因を探ろうとしてきました。

 

新年度のスタートでそんな気分になってしまうのは勘弁してほしいと思うものの、正直な心は否定出来るものではありません。そして、漠然とした不安感は解消したのかされないのか分からないままに日々の生活の中に沈殿していくような感じでした。そのような繰り返しを数十年味わってきました。

 

解放

ある感覚に私が囚われたのは、昨年の今頃、介護休業に入ったばかりの時でした。妻の看病と家事とで忙しなく一日が過ぎて行く中で、一日の多くの時間を費やして来た仕事から切り離され、不思議な浮遊感を覚えていました。

 

突然仕事の予定表が真っ白になり、それまで私の中で常に抱き続けていた緊張感や焦燥感が消え失せました。それは本来良いことなのですが、サラリーマンの垢に塗れた人間にとっては、慣れるのに少々時間を必要としました。

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介護と家事に専念したいからと休業したわけで、仕事からの解放は自分の望みでした。しかし、それに戸惑いを感じたのは、あまりにも出来過ぎた話を俄かに信じることが出来ないように、心地良い状況が自分の期待を上回り過ぎていたからなのでしょう。

 

以来、家のことを中心に考えられる環境が整ったおかげで、私の体調も良い状態が続いています。思えば、その直前の一年間が最悪の状態だったために、一層良好な体調に有難みを感じています。

 

帯状疱疹、原因不明の発熱、そして排尿障害と立て続けに異変に見舞われた時は、私自身の体に対する大きな不安と、仕事に対する責任が果たせなくなる不安の、二重の不安に苛まれました。

 

自分自身の体調不良、妻の発病、コロナ禍。重ならなくても良い悪いことが重なりました。会社人生の終盤に、B級芝居のようなドラマティックな展開など望んでもいなかったのですが、リアルな人生とはこんなものなのかもしれません。

 

そして、介護休業を選択したことで、私の胸の中一杯に広がっていた – と後で気がついた - 何かに追われ続けている感覚が無くなったのは、予想外の効果でした。

 

何かに追われている感覚、緊張感、焦燥感。それらが仕事に起因していることは、考えなくても分かるはずだったのですが、それまでの私はあえて考えずに過ごして来ました。結局、春のざわざわの原因は仕事の悩みだったのでした。すぐ近くにあるものからあえて目を逸らして無かったことにする – そんな自分のやせ我慢が春のざわざわの種だったのだと、漸く自分で認めることが出来たのでした。

 

自身のメンタルケアには人一倍気をつけて来たつもりでも、日々の仕事に追われる中で、それは二の次になっていました。二年前の度重なる体調不良も、もちろん、お医者さんが言った“加齢からくる免疫力の低下” が直接の原因なのでしょうが、免疫力が衰えたのは突き詰めれば加齢では無く、ストレスだったのだと思います。

 

まだ、“人体実験中”ですが、職責から解放されたことや、自分や家族のために費やせる時間が増えたこと – すなわち、思いどおりに自分の専念したいことが出来る環境が整ったことで、私はストレスから解放され、良好な体調を実感できるようになったのでした。

 

今年、春のざわざわはやって来ませんでした。穏やかな季節と同じく穏やかな気持ちで胸が満たされています。