和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

サラリーマンの垢

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気持ちの切り替え

早いもので、私が介護休業に入ってからもうすぐ1か月となります。専業主夫業と妻の介助に専念する一方で、仕事から完全に切り離された生活は、当初、どこか落ち着かない奇妙な感覚が抜けませんでした。

 

これまでの約30年間は、会社の業務の段取りを考えたり、余計な人間関係に悩まされたりするのが“日常”でした。そんな生活を送っていると、不思議なもので、悩み事の無い状況に戸惑ってしまうようです。平穏な日常の中で無理に問題を探し回る自分がいました。

 

しかし最近ようやく、家事と介護を中心とした新たな“日常”を何の違和感も無い当たり前のものとして受け入れられるようになりました。自分の中では、一足早いリタイア後の生活を予行演習している気分です。

 

幸いにして、妻の予後も良好で、抗がん剤の投与が再開されるゴールデンウィーク明けまでは、本人としても薬の副作用に悩まされることの無い心地良い時間を過ごせる期間になります。

 

実は、3月半ばに、手術前の妻と、ゴールデンウィークに旅行する予定を立てていました。昨年計画して実現できなかった夫婦旅行のやり直しです。もちろん、妻の体調次第ではあったのですが、心配していた体調も快復し本人も大いに乗り気、準備万端でした。

 

ところが、東京に3度目の緊急事態宣言が発出されたため、夫婦で相談した結果、夫婦旅行はまたの機会に取っておくことにして、今年も巣ごもりゴールデンウィークを過ごすことになりました。

 

娘たちも、ゴールデンウィークは友人と計画を立てていたようですが、こちらもとん挫してしまったようなので、連休中は、正月休み以来、家族水入らずで過ごすことになりました。

 

サラリーマン気分、サラリーマンの垢

新入社員が叱責される際によく使われる言葉の一つに、「学生気分が抜けていない」と言うのがあります。私も何度も上の人間から言われた言葉ですが、学生気分とは何なのか良く分かりませんでした。弛んでいることの代名詞なのかもしれませんが、いずれにしても、サラリーマンとしてなっていないと言いたかったのでしょう。

 

さて、学生気分の反意語として“サラリーマン気分”なる言葉は無いのでしょうが、会社を辞めて独立する人などが、時たま、「サラリーマンの垢を落としてから~」と口にすることを思えば、会社勤めをする中で心にこびりついた何かがあるのでしょう。冒頭で触れたように、仕事の段取りを考えたり、人間関係に悩まされたり – 常に悩み事に対峙し続ける心持ちをサラリーマン気分と言えるかもしれません。また、そのようなサラリーマン気分に長年浸るとサラリーマンの垢が心にこびりつくのかもしれません。

 

そんなことがふと頭を過っても、今や深掘りするほどの拘りは無くなりました。思い悩むことが無くなったからかもしれません。

 

先日、下の娘から、締まりの無い顔になったと痛烈な一言を浴びせられて以来、自分の顔つきを気にするようになりましたが、毎日見飽きている自分の顔の違いは自分では分かりません。「締まりの無い顔」 - 娘はおそらく、「柔和な笑顔」と言いたかったのだと信じていますが – は、私が今の生活を楽しんでいる証なのだと思います。人の相貌は精神状態を映し出す鏡です。嘘はつけません。

 

妻の闘病をサポートしたい。その一心で選んだ介護休業でした。そして、今、自分がやりたいと考えていたことを実行していることに満足感を覚えています。

 

しかし、ふと、立ち止まって考えた時、本当に妻のサポートのためだけが理由なのかと問いかける自分もいます。仕事と言う煩わしさから逃げ出すための言い訳だったのではないか。自分のための休息が欲しかっただけではないか。

 

妻を支えるための最善の策として、介護休業の道を選んだことに偽りはありませんが、そのことで、私自身が“救われている”と感じていることは確かなのです。そして、私は今の生活を心の底から楽しんでいるのです。

 

介護休業の終わりは5月の末。今の私の気持ちは、まるで、夏休みの終わりに向かっていくそれにとても良く似ています。