長い長い予定表 (3)

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理想の家族

私の知人で郊外の一戸建てに住んでいた人がいました。Fさんは私の大学の大先輩で、就職活動中のOB訪問でお世話になりました。結局、その会社は2次面接で落とされてしまったのですが、Fさんにお礼の電話をすると、「残念会をやろう」とご自宅へ招待されたのでした。

 

ご夫婦と小学生の男の子二人。庭付きの一戸建てを訪れた私は、正直羨ましいと思いました。当時、父の事業が破綻目前であったことから、家の売却も考えなければならなくなっていた時期でした。

 

Fさん宅は、都心から電車で1時間半以上の距離でしたが、バブル真っ盛りの頃に家を手に入れようとすると、通勤時間を犠牲にしなければ、普通の会社員が買えるような物件は見つかりませんでした。その意味で、Fさんのご自宅は、当時としては標準的なマイホームだったのだと思います。

 

お金を稼いで、家族を持ち、家を構える。自分の学費と生活費を賄うことで精一杯だった私にとっては、理想の家族像を見せられた気分でした。

 

Fさんとはそれ以来長くお会いすることはありませんでしたが、年賀状のやり取りだけは続いていました。最初の頃は、自宅をバックにした家族写真の年賀状でしたが、やがてお子さんたちが大きくなると、家族写真が出来合いの図柄に変わりました。そして、しばらく後のある年の瀬に、Fさんから喪中はがきが届きました。奥様がお亡くなりになったのでした。

 

今まで、年賀状のやり取りだけになってしまった相手から喪中はがきをもらっても、そのままにしていた私でしたが、Fさんには、気持ちばかりのお香典とお線香を送りました。直接お見舞いに伺うことも頭を過りましたが、30年近くも無沙汰していた自分を恥じる思いの方が強く、Fさんに合わせる顔が無いと言うのが正直な気持ちでした。

 

年が明けて、正月気分も抜けた頃、Fさんからお礼状が届きました。手紙には淡々と近況がつづられていました。お子さん二人がそれぞれ独立して所帯を持ち、孫の顔を見ることが楽しみになっていたこと。奥様と水入らずの生活が思いがけず終わってしまったこと。そして、近いうちに家を売って引っ越しをするので、その前に遊びに来てほしいと書かれていました。

 

夢を買うためのお金

Fさんの奥様がお亡くなりになったのは、その前年の春でした。一周忌を前にした3月のある日、私はFさん宅を訪れました。道中、これまでの不義理をどのように詫びようかと考えると、とても気が重かったのですが、最寄り駅の改札を出たところで再会したFさんは、そんなことは全く気にしない様子で、私は拍子抜けしてしまいました。

駅から急な坂道を歩くこと10分。以前訪れた時に、私の目に印象深く残っていたクリーム色の外壁は、時間の波に浚われてくすんでしまっていました。

 

案内された客間の片隅には、小さなテーブルの上に奥様の遺影とお骨が置かれていました。

 

奥様がご病気になられたのは、Fさんが定年退職した直後。余命数か月と宣告を受けたにも拘らず、その後闘病生活は3年余りに及んだそうです。お子さんたちも独立し、家のローンも完済。これから夫婦で老後生活を楽しもうとしていた矢先の、病気との闘いでした。後にとっておいた楽しいはずの余生を、生涯の伴侶と共にできなかったことは、Fさんにとっては悔やみきれない心のしこりになってしまったのかもしれません。

 

Fさんは、家を売って一人用のマンションに引っ越しするつもりのようでしたが、家の買い手がつかないと愚痴をこぼしていました。郊外のベッドタウンはバブル期には憧れの街だったのでしょうが、共働きが増え、都心への通勤の利便性を考えると、今の時代にはそぐわないのかもしれません。

 

自分の家を持つことは、人によっては大きな夢なのでしょうが、その夢は、家を持つことそのものでは無く、そこで家族とともに和やかに暮らすことなのだと思います。Fさんの口ぶりから、売れない家を嘆く気持ちが伝わってきましたが、これまで奥様とお子さんたちと楽しく暮らしてこられたのなら、そしてそれがFさんの希望であったのなら、そのために投じたお金で夢を実現することが出来たのではないでしょうか。

 

しなやかに生きる術

長い長い予定表は、どんなに綿密に作ってもそれで万事うまく行くわけではありません。正しいお金の使い方をしていれば心満たされる未来が約束されるわけでは無いのです。

 

約束された未来など無いのだからと言って、私は刹那的に生きることに賛同は出来ませんが、予定表に掲げた大きな目標のために、別の大切なものを犠牲にしてしまっては、何のために生きているのか分からなくなってしまいます。

 

生きて行くためのお金。私たちはそのために自分の時間を切り売りしています。しかし、生きるための“糧”はお金で手に入れられるものではありません。自分のためあるいは家族とのための時間無くして、“生”に対する充実感を得ることは出来ないのではないでしょうか。

 

私にとって、予定表に掲げる目標の裏で大切にしたいものは、“ゆとり”です。若い時は、お金を貯めることにせよ、任された仕事にせよ、目標を達成することで頭が一杯になりがちでした。そのために犠牲にしてしまったこともありますが、失った時間は取り戻すことは出来ません。

 

もし、今の心を持ったままあの頃に戻ることが出来たなら、もっと肩の力を抜いてしなやかに生きることが出来たでしょう。

長い長い予定表 (2)

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一生で稼げるお金

一週間分の食材を蓄えた冷蔵庫があります。途中で食材の補充は出来ません。いくらお腹が空いているからと言って、月曜日に冷蔵庫を空にしてしまっては、残りの6日間を過ごすことは出来ません。また、何が起こるか分からないからと言って、食材を使い惜しんでいると、一週間後には傷んで使えなくなってしまった食材ばかりになってしまいます。それぞれの食材の食べ頃を考え、一週間で無駄なく使いきれることが出来れば理想的です。

 

人の一生と一週間分の献立を比べることはナンセンスだと言われるかもしれませんが、時間の長さが違うだけで、計画的に物事を考えると言う点では共通しているのではないでしょうか。

 

前回の記事で、人生設計は、お金と時間の使い方を考えることだと書きました。では、まず、収入はどのように見立てるべきでしょうか。一生に稼げるお金の額はいくらでしょう。自営業か会社員か、事業の規模や昇進の度合い、景気の動向・・・それらの要素をどのように捉えるかは人それぞれです。

 

楽観的な人と慎重派の人とでは、自分の生涯収入に関する考え方も自ずと異なります。本業以外の不労所得や親からの相続があるかもしれません。しかし、宝くじが当たることを期待して人生設計を立てることはしないでしょう。いずれにしても、“現実的な”期待できる生涯収入を考えることは重要となります。

 

私たち夫婦の場合は、私の勤め先の給与規程から、定年まで勤めた場合のおおよその収入を見積もりました。結婚当初、妻は無職だったので、妻の収入はゼロと言う前提にしました。つまり、結婚した後の生計は、私の収入だけに頼ることを想定したのです。不労所得無し、親からの相続も無しです。また、定年後の収入は、当時私の親が受け取っていた“基礎年金”相当額を参考にしました。会社勤めなので厚生年金も受け取れるはずですが、年金制度の不透明感から、当時はこれを“当てにしない”想定を立てました。

 

実際には妻は、結婚当初から長女が生まれるまでの3年間と海外駐在から帰国した5年前からここまで仕事をしていたので、その分は“想定外の収入”として、貯蓄に回ることとなりました。

 

貯蓄に対する利息収入は見込みませんでした。結婚当初はまだ、郵便貯金金利は6%を上回っていたので、10年余りで貯蓄が倍になると言う、今では夢のような世界でしたが、私は利息収入を当てにしないことにしていました。これは何かを根拠にしたものでは無く、たまたま的中した“残念な”予想でした。

 

使えるお金

一生で使えるお金はどのように考えたらいいのでしょうか。“使えるお金”は、自分の描く将来において、達成したいライフイベントのためのお金です。そのためには、食費、日用品、光熱費等々のランニングコスト – 使う必要のあるお金 – を最初に考えなければなりません。

 

私たちは、仮に二人とも90歳まで生きる前提でランニングコストを見積もりました。また、子どもが生まれる年を仮定し、そこから独立するまでの子供の分の、教育費を含めないランニングコストを加えました。想定した収入からランニングコストを引いた残りが、“使えるお金”です。

 

家、車、子どもの教育、趣味・娯楽。何が自分の人生に充実感を与えてくれるのか。欲しいもの全てを手に入れられる人は別として、想定できる収入に限りがある場合には、手に入れたいものに優先順位をつけることと、それぞれの目的のために費やすお金の配分を考えることは避けて通れません。

 

自分と配偶者の人生の目標にどのようにメリハリをつけるのか、何にどれだけ拘わりたいのかによってお金の配分の仕方が決まってきます。

 

そして、肝心なのが、老後の生活にどれだけ資金を残しておけば安心感が得られるのか、です。欲しいものを手に入れ、やりたいことをやった後、老後生活を始める頃になって取り崩せる貯蓄が覚束なければ、死ぬまで不安を抱えながら生きて行くこととなります。そうならないために、使えるお金の配分方法は若いうちからよく考えておく必要があります。

 

大きな買い物と長いローン

地価は右肩上がりに高騰し続ける - そんな“土地神話”など死語となってしまった時代においては、多額の借金をして不動産を取得することは、大きなリスクを伴うことにもなります。

 

土地の価格はともかく、建物は買った瞬間から資産価値が下がり始めます。木造建物の法定耐用年数は22年ですから、その頃になると、住むには問題の無い建物であっても、資産価値はほぼゼロ、土地の価値しか残らないこととなります。仮に、購入後20年目にして家を手放さざるを得ないことになった場合、長期のローンを組んでいると、土地・家屋を売ったお金では借金を完済できない、と言う事態になることもあり得ます。

 

これからの時代に、ボーナス併用や退職金での残債返済を当てにしたローンを組むことは、今まで以上に慎重に考える必要がありそうです。

 

金融機関は、審査条件さえ整えばお金を貸してくれます。しかし、それは、あなたが借金を返済できることを保証してくれるものではありません。借りられるお金と返せるお金が、実は全くの別物であることを理解していないと、後になって、せっかく手に入れた自分の城を明け渡さざるを得ないばかりか、手放した家のために、その後も借金返済に追われる、などと言うこともあるわけです。(続く)

長い長い予定表 (1)

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遠くを見る目

会社の仕事、とりわけ新しいプロジェクトの投資評価を行う場合、計画が想定どおりに進んだケースの他、カギとなる要素が想定し得る最悪の状況になった場合 – リスクケース – も考慮します。リスクケースは、“悪い状況が重なった場合に生じる損失”に対する覚悟と、その損失を最小限に食い止めるための救済・緩和策の検討に用いられます。

 

会社の事業の場合、プロジェクトが成功すれば収益貢献の大きな軸になる反面、失敗した場合のダメージも大きくなるため、投資を判断する場合には慎重な検討が繰り返されます。

 

翻って、私たちはどのくらい真剣に自分や家族のライフプランを考えているのでしょうか。物事がうまく進んでいる時には、せっかくの時間を堪能したいと望み、悪いことは考えたくないものです。多くの人は、心穏やかな状態にあえて水を差すようなことはしません。また、若くて気力体力が充実しているときに、何十年も先の年老いた自分のことを考えることも、ほとんどの人は好まないと思います。

 

しかし、ふと立ち止まって振り返った時に実感する時間の流れは、歳と共にその早さを増すことになります。“まだまだ先の話”と考えていたライフイベントが、気がつくと目と鼻の先まで迫っていると言うことが往々にしてあります。

 

プライベートで予定を組む人も、数年先、数十年先の予定を組むことは稀でしょうが、まだ時間がたっぷりある時に、長い予定表を頭に思い描いてみることは損にはならないと思います。若い時に遠くを見る目を備えていれば、時間のメリットを活かすことも出来ます。

 

何が重大なライフイベントになるかは人それぞれですが、何をするにせよ、お金と時間の使い方がカギを握ることになります。自分の長い予定表 – 人生設計 – は、お金と時間の使い方を考えることだとも言えます。

 

私は、若い時にああしておけば良かった、こうしておけば良かったと、歳をとってから悔やむことが多々ありました。これから書くことは、自分が実践してきたことに加えて、もし私が、もう一度20代に戻れたとしたら、こう生きたかったと言う話です。

 

生活レベルの話

生活レベルの話は、過去の記事で何度か触れたことがあります。現役時代から老後生活まで、健全な収支を保ち続けることが出来れば、生涯お金にまつわる不安に苛まれることは無いのでしょうが、これは言うほど簡単なことではありません。事業や投資の失敗、勤め先のリストラや倒産。長く生きていればそれだけ、想定外の出来事に遭遇する可能性も増えます。“健全な収支”を心がけていても、収入は自分の思いどおりにはなりません。

 

他方、出費はコントロール可能です。より正確には、出費の多少は生活レベル次第と言えます。自分の生活レベルなのですから、何とでもなりそうな気がします。

 

しかし、生活レベルは、ともすれば収入に大きく影響を受けるきらいがあるので、思いつきでダウンサイズを試みても成功するとは限りません。また、慣れ親しんだ生活レベルを下げることは、習慣を変えることへの抵抗と、見栄や世間体と言う障害が大きな邪魔になり、人によっては大きな苦痛を伴うこともあります。

 

私たち夫婦が結婚したのは、バブル崩壊後の漠然とした不安に包まれていた時期でした。終身雇用に依存することは最早できないと考え、いざと言う時のための蓄えが必要であることを“何となく”感じていました。将来の家の購入や子どもを授かった場合にかかるであろう教育費など、大きな出費を伴うイベントについては、それぞれ目標額を設定して“つもり貯金”を行なうことによって、自己資金だけで生活を営むことを目指しました。

 

このように貯蓄優先の家計を組んだ結果、毎月の生活費は、貯金に回すお金を差し引いた残りで何とかやりくりすることにし、また、夏冬のボーナスは原則手をつけないことにしました。以降、昇給があった年も、その分は貯蓄に回すお金が増えるだけで、日々の生活費は結婚当初とほとんど変わらず、長女が生まれた時に、結婚後初めて生活費の見直しを行ないました。

 

しかし、これらはかなり大まかなもので、綿密に将来キャッシュフローを作って計画を立てたものではありませんでした。そのため、“いざと言う時のための貯蓄”は順調に積み上がって行きましたが、今振り返ると、必要以上に家計を締めつけていたのではないかとも思います。

 

貯蓄に励むことは悪いことではありませんが、それによって、日々の生活から潤いが無くなってしまっては、本来、将来の不安解消のための手段であるはずの貯蓄が目的化し、生きること自体が苦行になってしまうリスクもあります。

 

もし、結婚当初からやり直しができるのであれば、ライフイベントを想定したキャッシュフローを作成した上で、もう少し緻密に家計管理が出来たのではないかと思うのです。

 

一方で、結婚当初からほぼ同じ生活レベルを維持できたのは、夫婦でお金に対する共通の価値観を持つことができたからです。これは、たまたま同じ価値観を持つ者同士が結婚したと言うことでは無く、結婚生活を送る中で、お金に対する共通の考え方を育んできたと言うことです。

 

共働きで、生活費は出し合うものの、それぞれのお金の使い方を知らないと言う夫婦が多いようですが、これでは共同体としての収支のみならず、将来必要な資金の管理が出来ないのではないかと、他人事ながら心配になります。

 

私たちの場合、結婚当初、本当にお金がありませんでした。このことが幸いして、毎日寝る前はお金の話しかしていなかったような気がします。どうやって暮らして行くのか、将来のための準備はどうすればいいのか、そんな頃に二人で合意した生活レベルなので、その後、これまでお互いに文句を言うようなことにはならなかったのだと思います。(続く)