在宅勤務の逃げ場 (1)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

ある若手社員の不調

この記事を書いている2月28日現在、東京都は依然として緊急事態宣言下にあります。私の勤め先では、社員に対して不要不急の出社は避け、原則として在宅で業務を行なうよう指示出ています。

 

人事部では全社員を対象に、定期的に在宅勤務に関するアンケートを行なっています。在宅勤務により、通勤や出社によるストレスから解放され、業務に専念できることを評価している社員もいれば、独りでの仕事に閉塞感を感じている者もいるようです。私の推測ですが、経験に乏しく先輩社員の助けが必要な社員の中には、会社で仕事をしている時の方が仕事が捗ったと感じている者もいると思います。

 

自分で仕事の段取りを考え、タイムマネージメントが出来る社員は、在宅勤務でもそれなりの成果を上げられるでしょう。しかし、仕事を行なう上で、いわゆる“メンター”を必要とする若手社員にとっては、在宅勤務は仕事の方向性を見失ってしまうリスクを孕んでいる可能性があります。

 

指導的な立場にある中堅社員の中には、若手社員がうまく仕事を進めているか十分に目が行き届かず、在宅勤務を「やりにくい」と不満に感じている者も少なからずいることでしょう。

 

昨年の春、在宅勤務が本格的にスタートした時に、ビデオ会議システムをオンにしたまま仕事をしたいと申し出た若手社員がいました。結局それは、他の社員からの反対に押されて半年足らずで止めになってしまいました。

 

その若手社員、A君の様子がおかしいと直属の上司である課長から話がありました。年明け早々に始まった技術データの解釈作業で、退職するベテラン社員の業務を引き継いだA君でしたが、ミスを連発し仕事が捗っていない様子。オンラインで打ち合わせをしていても、課長の問いかけに対して、噛み合わない返事しか来ないとのことでした。私は部長職を外れた身ではあるものの、後任の部長が着任する4月までは部長代行を務める課長の補佐を行なうことになっています。その課長から私にA君と話をするよう頼まれました。

 

もし彼がこれまでのように会社で仕事をしていれば、先輩社員が彼のミスを早くに見つけ、傷口が大きくならないうちに軌道修正出来たのではないかと思います。私が指導的立場の社員に対して、もっと小まめにA君の仕事ぶりに気を払うように指示していれば避けられたことではなかったかと考えると、A君に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってくるのでした。

 

心と体の食い違い

私は、A君の指導役である中堅社員と話をしました。A君に任せてあった仕事はほぼ一からやり直しになってしまい、1か月近く二人三脚で成果物の修正作業を行なっていたところ、ここ数日間はA君の分担する作業が全く進んでいないとのこと。そのことをA君に尋ねると、これまでのミスで頭が一杯になり仕事が捗らなくなってしまったとの答えが返ってきました。仕事を休んではどうかと提案されたA君でしたが、作業量は減らしても仕事を続けることを希望しているようでした。

 

しかし、指導役の社員の話では、A君担当の仕事は全く進んでおらず、その状態が数日続いていると言います。表面上A君は仕事を続ける意欲を見せていますが、行動は食い違っています。もっとも、上の人間が休むように言っても、責任感の強い人間ほど、作業の遅れで周囲に迷惑をかけたくないと言う気持ちや、社内での評価が下がることを気に掛けるあまり、仕事を続けることを主張しがちです。

 

私はこれまで、直属の部下で、うつ病と診断された者を二人見てきています。ともに、体調不良で休む日が続き、後になって話を聞くと、毎朝足がすくんで家から出られなくなっていたことが分かりました。そして、二人とも、「明日は出社して仕事を間に合わせます」と言うようなことを言います。頭では仕事をしなければと考える反面、体は言うことを聞かないのです。

 

A君の場合、仕事が手につかない状態が続いており、業務を続ける状態に無いことは間違いなさそうです。これが私の取り越し苦労であれば、それで良し、ですが、ともかく、A君には早めに会社の産業医に相談してもらおうと思いました。

 

問題は、そのことを誰がどのようにA君に話すかと言うことです。A君は生真面目で自分の評価をとても気にするタイプです。頭ごなしに医師の診察を受けるように言えば、かえって頑なになってしまう可能もあります。(続く)

感謝する喜び (3)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

やりたいことリスト

妻は元々心配性で、物事を悪い方に考えがちです。病気の宣告からこれまで、先々のことについていろいろ考えていたはずです。妻が、病気への不安や自分の死について口に出さないのは、それによって私や娘たちとの関係性が、“家族同士”から“患者と介護者”へと変化することを避けたいからなのだと思います。病名が分かってから、何度となく妻は「普段どおりに接してほしい」と言います。それは、妻がいつまでも家族同士の関係を維持したいからなのでしょう。

 

以前、妻と私で書き始めた「エンディングノート」は途中から全く進まず、埃を被ったまま放置されています。勢いで書き始めたものの、私たちが自らのエンディングについてきちんとイメージ出来ていなかったことが理由でした。筆が止まった後、妻の病気や私自身の体調不良が重なったことから、エンディングノートは棚上げしたままになっています。終活よりも先に、病気を治すと言う大きな目標が出来たからです。

 

今、妻は、治療が終わったらやりたいことをリストアップしています。リストには今まで訪れたことの無い観光地などの名前が並んでいます。それらをひとつひとつ叶えることが、妻の希望でもあり私の楽しみでもあります。

 

老後よりも今

身内の病気もさることながら、自分が体調不良になると気弱になってしまうものです。昨年私は、3月上旬に酷い風邪に罹り、7月には尿路感染症で高熱と排尿障害に悩まされました。後者については、発病のしばらく前から夜中にトイレに行く回数が増え、また不快な残尿感が続きました。医師からは老化が一因と言われ、病気と同じくらいショックを受けました。また、従姉が亡くなったことも重なり、普段あまり意識しないことを考えるようになりました。

 

過去の記事で何度か触れましたが、私の父親が亡くなったのは66歳の時でした。母は「年金の元を取る前に死んだ」と半分冗談、半分本気で言っています。しかし、お金のことよりも、父にとっては、楽しむべき老後があまりにも短かったことが悔しかったに違いないと私は想像します。

 

他方、私の祖父は91歳で亡くなりました。私が高校生の時でした。その歳まで生きていたのですから、大往生と言って良いのでしょうが、晩年は養護施設で寝たきりの生活だったことを考えると、長生きが必ずしも本人にとって幸せなこととは限りません。

 

あと何年、自分の体の自由が利き、誰の世話にもならずに行動できるか。大分前の記事で「健康寿命」について触れましたが、自分が期待するほど健康寿命は長くないかもしれません。

lambamirstan.hatenablog.com 

私は、「いずれ自由な時間ができたらやろう」と思っていることがあるなら、後回しせずに今から時間を作ってでもやり始めるべきだと考えるようになりました。私にとって、それは妻との旅行であったり、自分の趣味であったりします。

 

一寸先は闇なのだからと刹那的に生きるつもりはありませんが、“楽しみは老後に取っておこう”と言う考えは無くなりました。楽しみたいことがあるのなら、できるだけ早くに実現できるようにしたいと思っています。

 

生かされていることに感謝

どんなに長生きしたくても、自分の寿命は自分でどうにかなるものではありません。私は人並に健康には気をつけているつもりですが、それでも予期しない病気に罹ることもあるでしょう。仮に、どんなに健康な体を維持できていたとしても、不慮の事故や事件に巻き込まれて命を落とさないとも限りません。結局、人の人生など何が起こるか分からないのです。明日自分が生きている保証などありません。

 

かつて私は、仕事の重圧から自死を考えたことがあります。その時は、目の前の苦しさから逃れたいと言う思いで頭が一杯で、生きるための希望が見えなくなっていました。

 

今、妻の「やりたいことリスト」を一つ一つ一緒に叶えることが自分の役目となりました。とは言え、自分が妻の役に立っているとか、妻に有難がってもらっているなどと傲慢な考えはありません。“妻を支える自分の姿”など、自己満足でしかないのは分かっています。それでも、苦痛や不安を分かち合うことが出来ない自分にとっては、妻の希望が私の希望でもあるのです。だから、私は心から、“まだ死にたくない”と思っています。

 

今こうしてブログの記事を書いている自分は幸運です。何事も無く一日を生きているからです。そう考えると、私は“生きている”と言うよりも、幸運と希望によって“生かされてる”と言った方が良いのかもしれません。生かされていることを有難いと思える心があれば、この瞬間、自分がここにいる奇跡につながるもの全てに対して感謝する気持ちが湧いてきます。

 

それは、家族や知人だけではありません。日々口にする物、灯りや温もり、空気や水でさえ感謝の対象です。それらに対して感謝できること自体が有難いことなのです。

感謝する喜び (2)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

宣告

妻は毎年人間ドックを受診しているのですが、昨春のドックで左の乳房に大きな影が見つかり再検査を受けました。そして、7月の連休直前のある日、私と妻は住まいからほど近い総合病院を訪れました。

 

再検査の結果、妻は乳がんと診断されました。レントゲン写真に白く映る腫瘍の影はかなりの大きさです。主治医は、リンパ節への浸潤が認められること、また、他の臓器への転移 – ステージ4 - の可能性が高いことから、早急に追加の検査を受けるよう言いました。

 

私は主治医に、ステージ4だった場合にはどのような治療を行なうのか尋ねました。医師は、他の臓器への遠隔転移があれば手術は行なえず、化学療法や放射線治療での延命を図る以外方法は無いこと、その場合、平均寿命を全うするのは難しいことを聞かされました。

 

妻は自分が癌で、病状がかなり進行していることをどこかで覚悟していたのだと思います。主治医との面談の間、取り乱す様子も無く、むしろ、私の方が動揺していました。

 

病院からの帰り道、妻は私に謝りました。自分の病気で家族の生活が大きく変わってしまうことを気にかけていたようです。妻の言葉は私の耳には届いていましたが、むしろ私は、ここまで妻の病気に気づいてやれなかった自分を責めていました。一昨年のドックで乳腺炎と診断された際に、念のため別の病院で診てもらうこともできたのです。妻への気遣いが足りなかったことを思うと悔やんでも悔やみきれませんでした。

 

成長する家族

その翌週、妻は追加の検査を受け、8月の初旬に結果を聞くために、再び夫婦で病院を訪れました。この間、娘たちにはまだ何も話をしていませんでした。二人とも子供ではないので、妻の病状について包み隠さずに説明するつもりではいたものの、どのように話すべきか逡巡しているうちに検査結果を聞く日になってしまったのです。

 

追加検査の結果、妻の体には遠隔転移は認められず、ステージ3と正式に診断されました。主治医からは、今後、通院により数回に亘る抗がん剤投与の後、手術を行なうとの説明を受けました。

 

その夜、私と妻は娘たちに妻の病状とこれからの治療について説明しました。9月の上旬に最初の抗がん剤投与を行ない、それから翌春の手術までの間、3週間おきにそれ繰り返すこととなります。私は、娘たちが動揺して泣き出すのではないかと思っていましたが、意外にも彼女たちは、家事や妻の通院時の付き添いを申し出てくれました。

 

妻は勤め先に休職願いを出しました。最初妻は、治療を行ないながら仕事も続けるつもりでいました。しかし、治療に専念してもらいたいこととと、通勤途上や職場での新型コロナへの感染リスクもあることから、私と娘たちで妻を説得しました。

 

8月の下旬に看護師によるオリエンテーションがあり、抗がん剤の副作用や、生活面での注意事項について説明を受けました。主な副作用として、吐き気、倦怠感、発熱、脱毛があり、また免疫力の低下も伴います。本人は当然ながら、家族も感染症に罹患しないよう注意が必要です。乳がんに関する知識など無いに等しい私たち。それから本を買い漁り、病院から渡された冊子を頼りににわか勉強を開始しました。

 

有難いことに、母親の病気が娘たちの成長を後押ししました。親子同居の場合、親への依存はある程度は止むを得ないことと考えていました。ところが、誰かを頼る立場から頼られる立場へと変わることで、彼女たちにも家族の一員としての責任感が芽生えたのだと思います。

 

葛藤の先にあるもの

妻が治療に専念できるために、私や娘たちは何ができるのだろうか。精神的な支えとなるのは当たり前のこととしても、どこまで物理的なサポートが必要なのか皆目見当がつきませんでした。

 

主治医や看護師に聞いても、抗がん剤の副作用は人によって様々との答えしか返って来ません。結局、妻の様子を見てみないと、どの程度の介助が必要なのかは分らないと言うことのようでした。

 

元来私は器用な人間ではありません。仕事をしている最中にも妻の様子が気になることでしょう。妻の看病をしている頭の中で仕事の段取りを考えているかもしれません。どれも中途半端になることが分かっていました。

 

そのような自分の性格から、私はその時点で仕事を辞めるか否か悩んでいました。しかし、そんな話をすれば妻は猛反対するでしょうし、自分のせいで私が仕事を辞めたと思い詰めてしまうかもしれません。それでは、妻には治療に専念してもらいたいと言う私の願いとは逆効果になってしまいます。

 

そこで私は、退職はしないまでも仕事を減らすことを考えました。また、会社には家族の看病のための介護休業の制度もあります。その上で、必要であれば改めて仕事を辞めることを考えようと思いました。

 

妻の病気のことを上司である担当役員に話したところ、状況は理解してもらえましたが、管理職から外してほしいとの私の申し出には、後任を見つけるための時間が必要との理由で即座の対応には難色を示されました。定期異動以外で人を動かすのが面倒くさいだけなのだと察しはつきましたが、部下がこんな状況でも上司の重い腰は動きそうにありません。その一方で、人事部と介護休業の話を進め、妻の手術後から休業に入ることを知らせておきました。

 

直属の部下である課長二人は、私が事情を説明すると、すぐに業務の引継ぎを進めることを提案してくれました。

 

会社に状況を話した途端、まだ仕掛中の仕事は残っていたものの、妻の看病に注力できる目途が立ったためでしょうか、それまで感じていた胸の重みのようなものがふと取り除かれた気がしました。

 

葛藤はあったものの、30年近い会社人生から降りることを自分でも不思議なほどあっさりと決断しました。もちろん、まだ退職をしたわけではありませんが、本当の意味で家族のために生きる道を選ぶことができたのは幸いでした。(続く)