和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

歯がゆい思い

使えない有休

年度末が近づき、人事部からは有休消化を促す“お触れ”が回ってきました。かつて、残業時間“ほぼ”ゼロを達成し、有給消化率も九割を超えた我が部署ですが、それも今は昔。業務量はそのままに欠員が常態化している今の体制では、与えられた有休の半分も使えれば御の字。これから忙しくなる年度末までの間に休みを取る雰囲気ではありません。

欠員が常態化していても、傍から見れば仕事は回っています。いや、仕事が勝手に回ることなどなく、残された部員が少しずつ負担を増やしてなんとか仕事を回しているのです。それは、あくまでも欠員が補充されるまでの間の“辛抱の時期”。しかし、そんな異常事態の中で仕事を続けていれば、やがては疲弊してしまいます。

有休や産休・育休、社員が働きやすい制度は立派に整っていても、周囲に気兼ねなく使えない制度は無きに等しいのです。

 

歯がゆい思い

今の職場のピリピリした雰囲気。たまにしか出社しない私はそれを感じ取ることが出来ますが、上司や同僚はそれほど深刻に受け止めていないようです。

思うに、一人一人が自分のことで精一杯で、隣の席の同僚を気遣うだけの余裕がないのでしょう。仕事を回すことに汲々として、生産性や働きやすさは二の次なのです。

権限のない今の私の言葉は、上司からすれば、暢気な人間の戯言でしかありません。

ほんの数年前に、残業ゼロを達成した部署の顔ぶれはほとんど変わっていません。同じ顔ぶれの組織の雰囲気がこんなにも変わってしまったことに、私は歯がゆい思いを感じつつも何もできないでいます。

キャリア採用

私の会社の人事部は非常に権威的なところがあって、自分のところの部署には中途採用者を配属させることはほとんどしてきませんでした。ほとんどの部員は入社以来人事畑で“純粋培養”された社員です。十年近く前に、ダイバーシティ推進グループを立ち上げた際、そのグループリーダーにキャリア採用で入社した女性管理職を抜擢しましたが、彼女はいわば“例外”であって、それ以降、配置換えで人事部に異動する社員は出てきていません。

社員は入社時に“職掌”が決められ、基本的のそれがついて回ります。若いうちはジョブローテーションで二年から三年周期でいろいろな部署を回り、職掌も変わる可能性がありますが、「人事」の職掌がつけられた社員が他の職掌に転換となることはあっても、その逆はありませんでした。

ところが、最近になって、人事部内でも人材の社外流出が目立ち始め、これまでの伝統を守り続けることが困難になってきたようで、他の部署から人事への職掌転換を認めるようになりました。

もうひとつ、人事部が手放さないものに採用権限がありました。OB訪問に他の部署の社員が駆り出されることはあっても、新卒採用、キャリア採用ともに人事部が全てを掌握してきました。欠員補充が必要な部署は、最後の役員面接の際に担当役員が同席することしか認められませんでした。

この採用権限も、自分のところの人手不足の影響で人事部は手放さざるを得ない状況になりました。今年に入ってから、 - 人事部は“実験的に”と言っていますが - キャリア採用の募集をアウトソーシングし、書類選考から一次面接までは人材を必要とする部署が直接行なうことになりました。

私の部署でも、早速キャリア採用に乗り出し、私と課長とでこの二か月の間、数十人の書類選考と一次面接を行ってきましたが、未だ二次面接をパスした候補者は出てきません。

募集部署が“一緒に働けそうな”人材を見つけても、人事部のお眼鏡に適わなければ合格になりません。キャリア採用がなかなか進まないのは、会社が自らの敷居を下げられないのが原因なのでしょう。

ともあれ、これまで人事部任せだった人手不足の手当てを自分たちで打開できるチャンスを手に入れられたことは大きな変化です。

キャリア採用の応募者は少なくありません。最終的にそれぞれの部門が採用権限を持てるようになれば、案外早く人手不足解消の目途が立ちそうな気がしました。もちろん、人事部の壁を取り除ければ、の話ですが。

変化する人生観

異動の打診

今年に入ってから二度、異動の打診を受けました。子会社の管理職のポジションです。四月の“大異動”まであと一か月余りとなりましたが、人繰りがつかないとの噂を知らない社員はいません。

 

昨年も何度か異動の打診を受けた私でしたが、すべて断り続けてきました。かつて人繰りを考えなければならないポジションにいた私としては、上司の苦労は手に取るように分かります。しかし、今の私の頭には「会社のために」という思いはありません。

 

自分の時間と家族のための時間。それを確保できている今の状態が私にとっては最善の選択だと信じています。ほんの数年前まで仕事を理由に家族のことを後回しにしてきた私ですが、今は、仕事のために貴重な時間を殺がれることを自分の中で正当化できません。

 

会社は、「私の家庭の事情は最大限考慮するから」、異動の話を受けてくれと言います。その口約束が全く意味のない甘言だということは、三十年もこの会社に勤めてきた私が一番よく知っています。

 

変化する人生観

私は五十代を人生の折り返し地点で、そこから先はこれまでの人生の答え合わせをしていくものだと考えていたことがあります。仕事、結婚生活、子育て - 自分の蒔いた種がきれいな花を咲かせているのか、萎れてしまっているのか、それを見届けるのが残りの人生なのだと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。

 

自分にとって都合の良い過去も都合の悪い過去も、それを背負うのは自分しかいません。もし、自分が今までの生き方に疑問を感じたなら、そこから仕切り直しする以外にありません。リセットはできないのです。

 

仕事のために切り売りしてきた時間はお金に姿を変えましたが、そのお金で時間を買い戻すことは出来ません。しかし、ここから先、自分が死ぬまでの時間をどう使うかは自分で選ぶことが出来ます。

 

人生観や仕事観は、自分の置かれている状況で変化します。それらに正解はありません。私が正しいと思っていることが、数年後になって、やはり正しかったと思えるのか、間違いだったと気づくことになるのか、それは誰にも分かりません。自分で納得しながら生きていくしかないのです。