和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

幸福序論

自棄酒とガス抜き

せっかくゴールデンウィークが始まるというのに、下の娘は上司とやりあったらしく、ひどく落ち込んで帰っていました。

一年間努力して、自分では十分な成果を上げたと思っていても、上司がどう評価するかは別の話です。そんな当たり前のことではあっても、新入社員に毛の生えた程度の娘にとっては腑に落ちないのでしょう。

それにしても、自分と意見の違う人に対して見境なく食って掛かる娘の性格は何とかならないものかと思ってしまいます。娘に“激詰め”される上司の方の苦労は如何ほどのものでしょう。

この歳になって、娘の自棄酒につき合わされるとは思いませんでしたが、たとえ酔い潰れたとしてもすぐ近くに寝床が用意されているのが家飲みのメリットです。もっとも、そんな心配は無用でした。妻は早々に床に就きましたが、娘二人との酒盛りは明け方まで続き、下の娘の“ガス抜き”は完了しました。

成人を迎えた後、娘には説教臭いことは言わないように気をつけていたのですが、アルコールが入るとどうしても「一言物申したい」となってしまうのが私の悪い癖です。そして、娘たちは私の「幸福論」を軽くあしらうのがお決まりのパターンになっています。

 

幸福序論

一年を通じて心穏やかに暮らすこと。それが私の願う幸せです。若かった頃の私が執着していた様々な欲は、この歳になるとどうでもよくなります。

物欲や金銭欲、承認欲求 ― あらゆる欲は、それらが満たされるともっと大きな欲に変わります。際限なく膨らむ欲と満たされない自分。思うに、当時の私は自分で自分を欲求不満の状態に追い込んでいたのでした。その中でも、他人の評価ほど当てになるものはなく、そんなことで振り回されてしまっては自分が損をするだけです。

自分や家族の健康、身内のしがらみ、職場の人間関係。生きていれば、自分の望んでいないことが次から次へと起こります。しかし、それらをどのように受け止めるかは自分次第なのだということが、私自身、いろいろあったからこそ、分かるようになりました。

ただ、分かるようになるまでに随分と時間を費やしてしまいました。人生の後半の、さらにその半ばになって、ようやくそのことに気が付くというのは私の至らなさ以外の何ものでもありません。

心穏やかでいられるのはどのように生きればいいのだろうか ― お金や健康や時間が自分の思いどおりになっても、それは不安を解消するだけで、それ自体が自分に幸せを運んで来てくれるものではありません。

自分の目の前にあるもの、自分を取り囲むものに対して有難みを感じ、満たされていると思えること。それが幸せの入り口なのだと思います。