和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

家事の習慣

残された方の心配

先日、義姉が家に訪ねてきました。健康診断で乳がんが見つかりゴールデンウィーク明けに手術することが決まったと言い、私に対して「姉妹揃って申し訳ない」と頭を下げました。

 

私は慌てて義姉に頭を上げるように頼みました。病気は本人が望んで罹るわけではありません。幸い、義姉のがんは早期のステージで手術以外に抗がん剤の投与は必要無く、術後はすぐに普通の生活に戻れるとのことで、妻と私は胸を撫で下ろしました。

 

義姉は、夫を置いて自分が先に逝くわけにいかないと言いますが、義兄は数年前に定年を迎えてからは家事にも前向きに取り組んでいると言っていたので、術後の義姉は安心して自宅での療養が出来るのではないかと思いました。

 

そんな話から、私は自分の父親のことを思い浮かべました。

 

父は老後生活を十分に満喫すること無く逝ってしまいましたが、母に看取られたことは結果として良かったと私は考えています。

 

事業を畳み、地方に転居した当初は、何となく燃え尽きてしまった感のあった父でしたが、母がいろいろな用事を見つけては父を外に連れ出し家に籠らないようにしていたそうです。

 

晩年の父は、母に励まされながら生きがいを見出そうとしていたのかもしれません。それでも、長年家のことを母に任せ切りにしていた父のことですから、もし、あの時母の方が先立ってしまったら、自分の身の回りのことさえ出来ないまま放り出されてしまったことになります。

 

妻の両親も、義父が先に亡くなりましたが、妻も妻の兄姉もそれを「ほっとした」と正直に口にします。

 

老親の独り暮らしはただでさえ子どもからすれば心配の種ですが、身の回りのことを全て家人に任せていた親が残されてしまったら、放っておくわけにもいかなくなります。そう考えると、「ほっとした」と言う妻や義兄姉を冷たい人間とは私は言えません。

 

家事の習慣

私が妻の介護をしていて感じたのは - 再認識したことと言った方が良いのかもしれません – 、自分が如何に妻に頼っていたかと言うことでした。自然とお互いに分担していた家事でしたが、ある日それをひとりで受け持つとなると、こんなにやることがあったのかとちょっとした驚きを感じました。

 

家事の総量が増えたわけではありませんが、相手に任せていた仕事は自分からは見えなくなってしまっていたのです。

 

不謹慎な話ですが、妻の闘病生活が無ければ、家人を介護したり家事の棚卸しをしたりすることも無かったでしょう。そう考えると、老後生活に突入する前にこのような経験が出来たことは、かえって良かったと思えるようになりました。

 

学校や会社は卒業や定年があり、自分に課されることが決まっています。それに対して家事に卒業や定年は無く、やるべきことは決まっているようで案外曖昧です。どこまでやれば十分なのか、どこまで手抜きをしていいのか、全て自分次第です。自分のことは自分で決めたいと考えていても、いざ“全て自分次第”となると、どこから手をつけて良いものか逡巡してしまいます。

 

私たちが共働きで、平日家を空けていた頃は、家の中はあまりきれいに片付いていませんでした。掃除は週末にまとめて行なうことが当たり前になっていました。日頃頻繁に来客があるわけでも無く、少々散らかっていても問題無かったので、気にすることすらありませんでした。

 

それが、私が在宅勤務や介護休業を経て、今のような働き方が出来るようになってからと言うもの、毎朝家の中を“リセット”するようになりました。私が無理に気合のスイッチを入れてそうしているわけでは無いのですが、一日の大半を過ごす空間だからこそ、快適な状態に整えておきたいと思うようになったのでしょう。

 

リタイアした後も大半の時間を家で過ごすことを考えると、今から素敵な家事の習慣をつけておくのは我ながら良い心がけだと思っています。

 

問題は、それがいつまで続くのか、ですが。