和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ハラスメントの温床(2)

抜け道

ハラスメント研修のプログラム見直しのために予定されていた打ち合わせは、急遽キャンセルとなりました。人事部の担当者からは“時間的な理由”で、今年のプログラムは昨年の内容を踏襲することに決まったと聞きました。

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私としては、意見を求められればそれに応えるだけ、そう考えていたのですが、プログラムの見直し作業がとん挫してしまったことは、時間的な理由が本当だったとしても、乗り気を殺がれて残念な思いを感じました。

 

ハラスメント防止のためのガイドラインにより、職場での嫌がらせは格段に減ったと思います。飲み会の強要も、部下への罵倒も、下ネタトークも、ガイドラインでハラスメントに抵触すると定められた言動は職場では影を潜めました。

 

しかしながら、どのような行為が相手に不快感を与えることになるのか、今まで気に留めることをしてこなかった一部の人間がそう簡単に心を入れ替えることなど出来ません。

 

下戸の人間に無理やり酒を勧めて、悪酔いする姿を見て面白がったり、酒席でプライベートなことを聞き出そうとしたり – 結局そのような行為は、コミュニケーションの一環などでは無く、自分よりも弱い相手を標的にしたストレス発散です。

 

自分に歯向かってこないことを知っていて部下に罵声を浴びせるのは、自分の思いどおりに仕事が進まないことのストレスを弱い者に当たることで発散しているだけです。

 

職場で下ネタや趣味の悪い冗談を持ち出すのは、それを耳にして眉を顰める同僚や部下を面白がったり、あるいは、迎合する相手を見つけたりして仕事のストレス解消をしているだけなのです。

 

部署の結束を高めるため、コミュニケーションを円滑にするため、職場の雰囲気を和ませるため – “やった方”はもっともらしい理由を挙げ連ねますが、本心から仕事のために体を張ってやったことだと思っている人間はいないでしょう。

 

仕事のストレスを歪んだ形で発散して来た人間が、一朝一夕に変われるはずはありません。今まで自分の楽しみだったことが禁じられたからと言って、心を入れ替える人間がどれほどいるでしょうか。

 

何か楽しみを見つけなければ仕事のストレスが募るばかりと言う人間は、ガイドラインに抵触しない抜け道から新たな楽しみを見つけようとするのです。

 

飲み会の強要はしない代わりに、職場で“乗りの悪い”人間とレッテルを貼る。表立って罵倒する代わりに不当に評価を下げる。

 

職場からハラスメントを一掃しようとして作られたガイドラインによって、表面上は働きやすく見える環境が整いましたが、倫理観を欠いた社員が心を入れ替えたわけでは無く、ハラスメントの素となる負の感情は潜行して見つけづらくなったと思います。

 

いみじくも人事部長が口にした、管理職と一般社員を同席させたら一般社員が委縮して議論にならない、と言う心配は、コーポレート部門の中枢にいる人間が風通しの悪い職場を懸念している証左だと感じました。

 

寸止め

他方、部下の指導に悩む管理職が増える傾向にあるのは、ハラスメント防止の啓蒙活動が盛んになったことが影響しているのかもしれません。

 

部下の成長を促すための指導や組織の規律を守るための注意と、自己の感情を立場の弱い者にぶつけるだけの行為。成熟した大人であれば、自分がやろうとしていることが相手を思っての注意なのか八つ当たりなのかくらいの判断はつくはずなのですが、都合が悪い時ほど自己正当化に走るのが人間の弱さです。

 

私はさすがに自分の部下に八つ当たりしたことはありませんでしたが、仕事が上手く回っていない時や虫の居所が悪い時などは、自分で自分が危ない状態にあることが分かりました。つまり、私も態度にこそ表したことは無くても、何かに当たりたい衝動に駆られそうになる瞬間があり、寸止めで抑えていたのです。

 

組織の中で仕事をする限り、ストレスから解放されることはありません。少なくとも私の経験ではそうでした。その中で感情に支配されるのではなく、感情をコントロールするためには、その出処を知る必要があります。

 

一歩間違えば私もパワハラ上司になっていたかもしれません。だからと言って、実際にパワハラ認定された社員を擁護すべきとは思いませんが、彼ら・彼女らの負の感情の根源、あるいはそのような感情を増幅するような温床がどこにあるのかを探ることが出来なければ根本的な解決にはならないのではないかと疑問に思うのでした。

 

私のように一歩間違える手前で踏み止まった経験を持つ社員は少なく無いと思います。もし、そういう者同士が会してお互いの経験を共有することが出来れば、ある種のガス抜きが可能になるのかもしれません。

 

自分自身の気持ちの揺らぎを認めることはそう簡単なことではありません。特にプライドの高い人は自分の過ちを認めないどころか正当化してしまう嫌いがあります。しかし、自分と同じような他者を介して気持ちの揺らぎを理解することは出来そうな気がします。