和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

仕事への復帰と気分の落ち込み

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介護休業の終わり

来週の職場復帰を前に、会社から様子伺いの電話がありました。復帰先は元の部署。具体的な業務内容は別途連絡あり、とのこと。その直後に、私の元部下から電話が入りました。業務引継ぎを兼ねたオンラインの打ち合わせを早速始めたいと言う内容でした。

 

私は、業務の引継ぎは休業明けにしてもらいたいと、元部下の要求を押し返すとともに、私の要望 – 時間的にゆとりを持てる部署への異動 – に対しての動きについて問いました。

 

元部下は、引継ぎのタイミングは上と相談して改めて連絡すると言い、私の異動については、部内の人手不足からすぐには動けないと述べました。

 

勤め先での“人手不足”は慢性的で、若手社員の定着率は年を追うごとに悪くなっているようです。若い人ほどジョブ型の雇用を志向する傾向があり、将来のビジョンを示すことが出来ず、社員が自身のキャリアパスを描けないような会社では、彼ら・彼女らを引き留めることは今後一層困難になって行くのだと思います。

 

人手不足が解消できないため、特定の分野に嵌まってしまった人員を様々な部署に回して経験を積ませることがしづらくなり、社内の新陳代謝も進まず、才能のある若手は益々嫌気が差すと言う悪循環に陥っている感があります。

 

それはさておき、私の希望がすぐに通らないことは予想していたのですが、元部下を問い詰めたところ、私の異動の話は進んでいるどころか、全く出ていないとのことでした。休業前、私は上司に、元部長が部内にいては、周囲が何かと仕事をしづらいだろうから、早急に私を異動させるように提言していました。間もなく定期異動の時期になるにも拘わらず、自分の異動の話が動いていないと言うことは、私はこのまま飼い殺しにされるのかと、心穏やかでは無くなってしまいました。

 

職場復帰前に不快な思いを抱くことはよろしく無いので、その話はそれ以上考えないことにしました。

 

主夫業と心の安らぎ

私が会社とそんなやり取りをしていることは、家族には一切話していません。妻は薬の副作用が思ったほど重くなく、少しずつ身の回りのことも出来るようになってきました。そのためなのでしょう、私に職場復帰を急かすようになりました。

 

他方、娘たちの受け止め方はマチマチのようです。上の娘は、在宅勤務では無く、基本、通勤での仕事なので、炊事などを当番制にするよりも、手伝える時に手伝う方が良いと言います。下の娘に関しては、大学の講義は在宅で受講する場合がほとんどで、塾講師のアルバイトも在宅勤務なので、妻の介護や家事、できることはいつでも引き受けると言ってくれます。

 

夕飯時、家族で食卓を囲んでそんな話をしていると、私の頭を過るのは、このまま専業主夫を続けてはどうかと言う思いでした。家事を当番制や分業にして分担するのも悪くはありません。しかし、私としては2か月間の主夫業を経て、家事を回すことが自分にとって適不適のいずれかに分けるとしたら、“適”ではないかと思えるようになったのです。もちろん、たった2か月で確信するのは短絡的だと思われるかもしれません。私自身、そんな簡単に結論を出してしまって良いのか、若干の躊躇があることは否めません。

 

ただ、見方を変えれば、会社勤めを続けるにしても、定年まであと7年です。7年後、私が60歳になった時から専業主夫になるのであれば、今から主夫業に磨きをかけても損はしないと考えます。

 

妻は、自分のせいで私が休業を余儀なくされたと思い込んでいます。その思い込みは、私が何度否定しようとも払拭されることは無く、だからこそ、妻は私に職場復帰を強く促しているのです。もう一つは、老後のためにできるだけ蓄えを増やしておきたいと言う思いもあるようです。妻は口には出しませんが、病気のために休職の身にあり、復職の可能性が高くないことを知っているのです。

 

自身の収入が途絶えた分、私には定年までは稼いでもらいたいと言う気持ちもあるのでしょう。一方の私は、今の手持ちの蓄えで慎ましく生きて行くことを望むようになりました。過去の記事でも何度か触れましたが、お金は不安の解消には役立ちますが、それ自体で心の平和を得られるものではないと考えます。

 

職場復帰を前に私の気分は沈んでいます。仕事から距離を置いてみると、自分と仕事との関係性がとても良く分かりました。こんなことを話すと、私の部署の若手社員や中堅社員のモチベーションを下げてしまいますが、私がストレスと感じていたことの大半は仕事に起因するものでした。

 

ストレスの原因を取り除いた2か月の間の自分の精神状態は、無風の湖面のように穏やかであったことを考えると、無理に心の中に風を吹かせなくても良いのではないかと思っています。