和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

不寛容な世の中で (2)

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処罰感情の暴走

部下へのパワハラにより、上司が関連会社に出向させられました。しかし、社内でさらなる厳罰を求める署名活動が始まり、また、パワハラの当事者であることを言いふらされたため、その上司は会社に居づらくなり退職しました。

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 “パワハラ被害者”の若手社員が相談窓口を訪れた時には、これほど問題が大きくなるとは思っていなかったのでしょう。確かに、“加害者”の上司は言葉がきついところがあり、部下に対する姿勢も厳しい人でした。対する部下の方はと言うと、お公家さんのような風貌のおっとりした雰囲気で、上司とはそりが合わなかったのだと思います。

 

部下の彼が相談窓口にやってきたのも、“上司からきつく当たられているので何とかならないか”程度の相談で、決して上司に厳罰を求めるような話では無かったはずです。事実、人事部が調査をしている最中に、その上司は部下に頭を下げ、当事者間では話は済んでいたとの話も伝わっていました。

 

しかし、賞罰委員会は予定通り開催され、上司に処分が言い渡されました。委員会が下した決定は、“戒告”というもので、減俸などを伴わない比較的軽い処分でした。その後その上司が出向させられたのは、表向き本件とは関係無いものとされましたが、誰の目にも処分の一環だと映っていました。初めてのパワハラ案件であることと、処分の軽重についてのはっきりした基準が確立していない中で人事部が迷走した結果だと考えられます。

 

この事案でさらなる厳罰を望んでいたのは、別の一部の若手社員だったようです。当時は今よりも高圧的な上司が多く、不満を燻ぶらせていた社員も少なくなかったはず。そこにタイミング良くハラスメント相談窓口ができ、最初に取り上げられたのがパワハラ事案だったわけです。ここで加害者の上司に厳罰が下れば、部下を常日頃ぞんざい扱ってきた上司への良い見せしめになるだろうと考える社員がいてもおかしくありません。彼らが要求していた“厳罰”とは、停職や減給と言った、従来悪質な行為に対して行われていた処分でした。

 

私はこのような若手社員の心中も理解できます。私も若い頃にパワハラを受けてきたからです。しかし、当の被害者は上司への厳罰を望んでいたわけではありませんでした。それにも拘わらず、一部の社員による過剰反応のおかげで退職を余儀無くされた上司に私は同情してしまいます。会社としての処分が下り、当事者間での“和解”が成立しても、周りがそれを認めないとなると、非を認めた側としてはこれ以上どうすればいいのか途方に暮れてしまいます。

 

私の勤め先の例に限らず、実社会でもネット社会でも、謝罪している者を受け入れないばかりか、コミュニティーからの放逐や、もっとひどい場合、職を奪うようなことを平気で行う者がいます。提案者の顔をした扇動者が、事情を良く知らない者に賛同者となるよう声を掛け、1回の過ちに対する報いとしてはあまりにも重過ぎる罰を、1人の人間に科そうとすることがあります。

 

扇動者もそれに加担する者も、執拗に相手を追い詰めることだけした頭に無く、落としどころが分かっていません。と言うよりも、落としどころを考えることすらしていないのかもしれません。ブレーキの壊れた車のように速度を上げることは出来ても緩めることができないのです。

 

正義無きカタルシス

一社員の厳罰を求める署名活動。会社の制度そのものの見直しを迫ることが目的であるならまだしも、署名活動と言う“お祭り”に便乗して、個人攻撃にまで発展してしまいました。

 

また、ネット社会では、ひとりの人間に対する抗議や非難が、やがて集団的な誹謗や中傷に変わって行くことがよくあります。最初の抗議の声が純粋な正義感から出たものだったとしても、それに便乗して、“獲物”を追い詰め傷つけることに快感を覚える集団が湧いて出てきます。

 

本当の正義感から相手の不適切な言動を糾したいと考える人は、相手に対して発言の撤回や考え方を見直すよう促すことはあっても、相手の人格を傷つけたり、プライバシーや過去の失態を炙り出したりするなど、必要以上の攻撃はしません。何が目的であるかを正しく理解しているため、人の道に外れるようなことはしないのです。

 

他方、抗議に便乗して騒ぎ立てる者にとっては、手頃なターゲットが見つかりさえすれば誰でも良いのです。誰かを叩いて追い詰めて、憂さ晴らしができればそれで満足なのですから。

 

彼らは相手を叩く理由があれば、自分たちの行動は正当化されると信じているのでしょう。それに加えて、自分の身分を明かすこと無く、ターゲットから反撃される恐れも無いと確信しているからこそ、頼まれてもいないのに、ターゲットのプライバシーを暴き立ててネット上でそれを晒して得意になったり、罵詈雑言の限りを尽くして相手を貶めようとするのです。

 

祭りの後に残されるものは、正義無き集団のカタルシスだけです。