和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

終活の手伝い(1)

三年ぶりの母との再会

先週後半から少し遅めの夏休みを取って母親の様子を見に行きました。月に数回の電話でのやり取りはしていたものの、コロナ禍で顔を合わせるのを控えていたため、母と直接会うのは三年ぶりということになります。

 

齢八十に差しかかった母は、リウマチのため両肘と両膝は人工関節になっており、あまり無理が出来ません。本人はまだまだ自活出来る自信があるようですが、持病が無かったとしても独り暮らしをさせておくには不安を覚える年齢にです。

 

久しぶりに見た母の姿は、歳相応と言えばそれまでですが、一段と老け込んで見えました。もちろん、母に対してそんなことは口に出しませんが、動きの緩慢さは隠しようも無く、体もさらにひと回り小さくなっていました。

 

主人公になりたい母

数年前、母を認知症の検査に連れ出したことがありました。伯母が認知症になったと言う知らせを受けた時に、私が“念のため”にと、母に検査を受けさせたのです。結果は異常無しでしたが、その時、私は検査をしてもらった先生に母の虚言癖、あるいは軽い妄想癖について相談をしました。先生からは、問診ではおかしなところは見当たらなかったものの、簡易検査だけではパーソナリティー障害に該当するかまでは分からないので、心配なら改めて検査するように言われました。

 

当時、そんな話を妻にしたところ、何故か妻は怒り出しました。曰く、独り暮らしの母が周囲の気を引こうとして話を多少大袈裟にするのはおかしなことでは無い、実の息子なのだからもっと親の話を親身に聞いてやるべきだ ‐ 私としては、妻が夫の母親に肩入れする気持ちが理解出来ず戸惑いました。母の虚言癖は、ずっと前からのことだったのですが、それを妻に話したところで良いことは無いと、私は妻に反論はしませんでした。

 

妻は私以上に母のことを心配してくれています。私の目から見て、妻と母は良好な間柄にあるのですが、それは、適度な距離を保って付き合っていることもあるのでしょうが、妻は実の母親に対して抱けなかった母子関係を私の母に求め、母は自分を慕ってきてくれる妻に、息子から得られなかった“孝”の気持ちを感じ取っているだと思います。

 

私としては、妻と自分の母親の関係に冷水を浴びせるつもりはありませんが、少なくとも妻が抱いている母親像を共有することは出来ず、モヤモヤとした感情は以前胸の奥に澱のように残っています。

 

再会した母は、私がそんなことを頭の片隅で考えていたなど知るわけはありません。母の口達者は相変わらずで、放っておいたらいつまでも話が終わりません。話の内容は何度も聞かされたものがほとんどで、しかも、内容が微妙に脚色されて変わってきているのも相変わらずでした。

 

結局、母は、自分を美化したり、過去の経験をドラマチックに飾りつけたりすることで、自らを物語の主人公に仕立てたいのだと思うようになりました。加齢から来る物忘れは多少なりともあるみたいですが、今のところ変わった様子は無さそうでした。

 

それはさておき、私が母に会いに来たのは様子伺いの他に、もう一つ目的がありました。

 

見栄と欲

父の事業が上手く行かなくなった時、私は父を半ば強制的に引退させました。借金を清算して事業を手放せば、手元に残った資金で老後は心配せずに過ごせるはずと両親を説得しました。

 

私は、両親に慎ましくても安心した老後を過ごしてもらいたいと願っていたのですが、“良い時”の暮らしぶりは、それに浸っている時間が長ければ長いほど抜け出すのは大変なようです。金銭感覚を切り替えるのも容易ではありません。それを知ったのは父が亡くなって大分後になってからの話です。

 

父が亡くなって十数年後、母から借金の申し出がありました。住んでいる家の固定資産税が払えないと言うのですが、私には何のことか見当もつかない話でした。老後資金はどうしたのか尋ねても母の説明は要領を得ません。

 

要領を得ない母の話にはそれなりの理由がありました。隠居生活を始めた両親は、手元に残った老後資金と年金で“普通の生活”が出来るはずでした。父が亡くなって年金の受給額が減ったと言え、母ひとりで暮らして行くには困らないだけの蓄えはあったのです。

 

ところが、母はかつての生活レベルを下げることが出来ませんでした。挙句に原野商法に引っかかってしまったのでした。誰にも相談せずに買った土地は値上がりすることも無く、売りに出しても買い手がつきません。そうこうしているうちに母の手元にあった老後資金も危険水域に達してしまいました。

 

そこに別の業者から、土地の整地を行なえば高く売れると唆され、母は出来過ぎた上手い話に飛びついてしまったのでした。

 

手元のお金が枯渇した状態になって、ようやく母は私のところに泣きついて来たのでした。当初、母は私に、妻には内緒でお金を貸してほしいと言いました。母は自分の失態を妻には知られたくなかったのでしょう。しかしながら、妻と私は家計を共同管理していたので、“内緒で”貸せるお金などありません。

 

私は妻と相談して、しばらく母のサポートをすることを許してもらいました。とは言っても、まとまったお金を渡しても、生活レベルの見直しをしなければ焼石に水になることは分かっていたので、私は母に、固定資産税は面倒を見るので、日々の生活は自分の受取る年金の範囲内で賄うように言い含めました。

 

手元の資金を計画的に使っていれば何の心配も無かった老後生活でしたが、これまでの良い暮らしを忘れられなかった母は、自分の欲に負けてしまったのでした。

 

母が自分の年金で生活を送れるようになり、固定資産税も支払えるようになったのは、ほんの数年前のことです。(続く)