和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

早く生きる人生

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「いつでもできる」ための条件

一昨年、私はこれまでに経験したことが無い体調不良に見舞われました。排尿障害と倦怠感。排尿障害は尿路感染症によるものだとお医者さんに言われましたが、加齢と過労から来る免疫力の低下では無いかとの説明で、それ以上原因を突き止めることはしてくれませんでした。

 

幸いにして体調不良は数か月で治りましたが、当時、妻のがん宣告と相まって、自身の気持ちの落ち込みに対応する術を見つけられずにいました。

 

人生を満喫するために必要なもの。お金と時間と健康。その内のひとつを失ってしまうことになるのだとしたら、それは漠然とした死への恐れ以上に心を苛むことになると考えました。妻と私がいつでもできると思っていたことは、“健康でありさえすれば”と言う、当然過ぎて前提条件にすら加えなかった一番肝心な条件が必要だったのです。

 

父の最期に思うこと

何度か過去の記事で触れましたが、私の父は66歳で鬼籍に入りました。二月半ばの寒い朝、いつまでも起きてこない父の様子を見に行った母は、そこですでに体が冷たくなりかけていた父の異変に気づき、救急車を呼んだものの、すでに手遅れでした。父は自宅で救急隊員の救命措置を受けましたが、心臓の鼓動が戻ることも無く、その場で死を告げられました。

 

当時海外駐在中だった私は急遽帰国し、亡くなった二日後にようやく父に対面しました。その前年の末に上の娘が生まれ、年明けには撮り溜めした写真を両親に送っていました。ちょうどその写真が届いたのが父の亡くなる前日。珍しく父から私に電話がかかってきました。娘の写真が届いたことを喜び、早く孫を連れてくるようにと何度も言っていました。普段あまり感情を表さない父でしたが、電話口の声が弾んでいるのが分かりました。それが私と父の最後の会話になりました。

 

父とは、それまでいろいろな葛藤がありましたが、妻が妊娠してからは、そのような過去は何となくお互いに掘り返さないことで暗黙の了解が出来ていました。新しい生命の誕生が、私と父の間の蟠りを氷解してくれたのだと思います。

 

そんなことをつらつらと思うに、私は父の生前に娘の顔を見せてあげられなかったことを何度も後悔しました。そして、父も、初孫に会えなかったことを悔やんだままこの世を去ったのかもしれません。

 

“長く生きる”から“早く生きる”へ

私の祖父母は、父が若い頃に離縁していて、祖父は私が物心ついた時には介護付きの老人ホームで暮らしていました。

 

その祖父が亡くなったのは私が高校生の時でした。享年91は大往生なのでしょうが、長く生きることが人生を満喫することには必ずしもならないのだと思うのでした。

 

妻と私が考えていた人生終盤の楽しみは、子育てや仕事などの苦労から解放された後に自分たちの時間を存分に満喫することでした。やりたいこと、行きたいところ、いろいろありますが、それは定年退職後に“取っておく”ことにしていました。

 

定年はまだ先のこと - もし、妻の発病や私の体調不良が無ければ、先のことを考えるにはまだ早いのでは? と言いながら漫然と暮らしていたのかもしれません。

 

“漫然と”などと言うと妻に叱られてしまいます。少なくとも妻に限って言えば、老後のことを考えて来なかったわけでは無く、むしろ、漠然とした不安を抱いていました。元来心配性の彼女は、不安の種を見つけて来てはあれこれと悩むのですが、傍から見ると心配するのが趣味なのではと思ってしまいたくなるほどでした。

 

将来の不安を考え始めたら切りが無いのですが、それでは“明るい老後生活”を思い描くことは出来ません。私は、これまでやるべき準備はしてきたのだから、もう少し夢のある話を考えたらどうかと提案しましたが、妻としては、死ぬまで不安の無い生活をしたいと言うのが最優先だったのでした。

 

妻が総合病院で精密検査を受け、私と二人で主治医の先生と面談をした時、先生からは、ステージ3の乳がんであることと、遠隔転移の有無を確認するための再検査が必要なことを告げられました。その際、転移が確認されればステージ4となり、緩和ケアを受けることになると言われました。そして、普段通りの生活がいつまで続けられるかは個人差があるものの、平均寿命まで生きられる可能性は低くなることも聞かされました。

 

先生は妻を励ますわけでも脅すわけでも無く、医学的な所見を淡々と説明しました。そのことで妻も私も冷静さを保てたのだと思います。

 

幸いにして妻はステージ3で手術可能な状態でしたが、その後、抗がん剤投与と手術、そして術後から現在まで抗がん剤治療を続けています。

 

病気療養と長引くコロナ禍により、この2年間は家族や夫婦で旅行に出かけてはいませんが、“その時が来たら”と、妻は旅行の計画には余念がありません。

 

やりたいことは先送りすべきでは無いと以前記事に書きました。健康で長生きがしたいとは誰しも思うことですが、人の命は分からないものです。大好きなデザートを後に取っておいたら、口に運ぶ前にテーブルを片づけられてしまうようなことはしたくありません。私は刹那的に生きることを良しとは考えませんが、今は、長く生きるよりも、早く生きたいと思うようになりました。

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