和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

塞翁が馬

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良い変化

早いもので、今年も残り半月を切りました。この一年間、これほど家にいる時間が長くなるとは思ってもいませんでした。

 

11月から、妻は復職を果たしました。体調と相談しながらのリハビリ勤務です。抗がん剤を投与した日から1週間程度は倦怠感や発熱などの副作用もあるため、出社は無理の無い範囲で行ない、出勤日も5~6時間程度の時短勤務で様子を見ることになります。

 

元来、じっとしていられない性格の妻。この秋に新たに投与を開始した抗がん剤は、副作用が以前のものと比べると“穏やか”なことと、妻自身、職場復帰への意欲が強かったことから、主治医の先生、そして勤め先を説得して、治療を続けながら働く道を選びました。

 

私も娘たちも、妻の復職に諸手を挙げて賛成と言うわけでは無かったのですが、家族で話合った結果、妻を応援することに決めました。やりたいと思った時にやりたいことをやる。先送りしない。後悔しないために急いで生きる - 妻の発病は、彼女だけでなく、家族全員の意識に変化をもたらしました。

 

私の方は、在宅勤務日数が制限され、週3日は出社することになりましたが、勤務がフレックスタイム制なので、家事に支障が出ないよう、早出・早帰りにしています。

 

妻の職場復帰で、この一年で体に馴染んだ生活スタイルに少し変化が生じましたが、それは私にとっては不快なものでは無く、良い方向への変化と感じています。

 

災い転じて

もし、コロナ禍が来なかったらどんな生活を送っていたのか。タラレバの話をするのは無意味なことなのかもしれませんが、私たち家族に限って言えば、いろいろな困難に直面したタイミングで、外出自粛によって家族で共有できる時間が増えたことは、幸いなことだったと思っています。

 

私はコロナ禍以前から何となく体の不具合を感じていたのですが、昨年の春先には一週間高熱にうなされていました。新型コロナの感染の可能性もあったので、熱が治まってからもさらに1週間は在宅で仕事をしていましたが、それはともかく、これほどまで酷い風邪をひいた経験はありませんでした。

 

同じ年の夏には、1か月近く排尿障害に悩まされました。夜中に尿意を催して何度もトイレに行くのですが、いきんでもほとんど用を足すことが出来ず、やがて下半身に力が入らない状態となりました。

 

いくつかの病院を回った結果、尿路感染症と診断され、抗生物質を処方されて数日で症状は治まりましたが、お医者さんからは、疲労から免疫力が低下したことと加齢が原因では無いかと言われました。

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若いと思っていても、50代半ばの身。年齢に合わせて生活や仕事のスタイルを変えていく必要があったのでしょう。突然の体調不良も、それは積み重なったものが表に出て来ただけで、“突然”のことでは無かったのかもしれません。体が黄色信号を発したことで早く気付かせてくれたことは、むしろ幸いなことだったのだと考えています。

 

体調不良に悩まされた時期は、在宅勤務開始からしばらく経ち、私は出社と在宅勤務がほぼ半々の状態でした。家にいる時間が長くなるにつれ、家事のために割く時間も増え、家の中での自分の役割を見直していた時でした。仕事はほどほどにして、今まで以上に家のことに目を向けるべきではないかと感じ始めていました。

 

そんな矢先に、妻が乳がんと診断されました。

 

妻もショックだったでしょうが、それは私も同じことです。新居での生活にも慣れ、娘たちも手がかからなくなり、毎日が何となく穏やかに流れて行く感じを楽しんでいた頃に、新たな災厄が訪れようとは思ってもいませんでした。

 

しかし、見方を変えると、もし、在宅勤務や外出自粛の無い時に、このような困難に遭ったとしたら、私は同じように行動出来ていたかと言うと、かなり疑わしいような気がします。

 

自身の体の不調も、仕事が一段落着くまで我慢を続けていたかもしれません。妻の病気を知っても、仕事と看病をどうやって両立させようかと悶々としていたかもしれません。そして、その結果、家族の間に不和が生じていた可能性もあります。

 

そう考えると、降りかかった災難に立ち向かうには、家族にとって絶好のタイミングだったと言えます。家にいれば、家族のことを考える時間が増えます。家族と話す時間が増えます。家族への愛着が深まります。

 

私が仕事をセーブして妻の看病に時間を注ぐことを躊躇なく選べたのも、会社から距離を取ることが出来たお陰なのだと思います。

 

「塞翁が馬」とか「災い転じて福となす」と言う言葉は嘘ではありません。何がどう転ぶかが分からないのが人生です。「最悪だ」、「不幸だ」と思ったことが、後から振り返ると好機の前兆と言うこともあります。

 

何が幸いするか分からないからこそ、放り出すことなく向き合うのが生きて行くと言うことなのでしょう。