和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

妻の不機嫌

火傷

先週、妻が左手を火傷したので、近所の総合病院に連れて行きました。私の仕事の打合せが延びて夕飯の支度の時間を過ぎていたため、妻が気を利かせて準備を始めてくれたのですが、鍋に沸かしていた熱湯を誤って手の甲にこぼしてしまったのです。患部をすぐに氷水で冷やしたため、見た目はうっすらと赤く腫れているくらいでしたが、念のため病院で診てもらうことにしました。

 

妻は昨年春の手術で左乳房とリンパ節を切除したため、主治医の先生からは左側の腕は虫刺されや軽い怪我でも治りにくくなると注意されていました。また、手術の後遺症で左腕にはわずかに痺れが残っています。本人は普通に掴んだつもりの物がするりと手からこぼれ落ちてしまいます。そのため、これまでに何度か食器をダメにしていました。

 

私は妻に治療に専念するように言っていたのですが、彼女としては抗がん剤の副作用の抜けた時期には、つい体を動かしたくなってしまうようです。

 

手の火傷程度で救急外来に駆け込むのは大袈裟な話ですが、病院の窓口で事情を説明したところ、快く診察してもらえました。妻の火傷は幸い大事には至りませんでしたが、一歩間違えば大きな怪我につながる可能性もあったことから、私はつい妻を詰ってしまいました。

 

その夜、妻は娘たちからも注意されたことが腹に据えかねたのでしょう、いつまでも病人扱いするなと泣き喚きました。そうは言っても、彼女はまだ治療中の身。病人であることは間違いありません。私は妻が落ち着くのを待って、治療に専念して欲しいことを噛んで含めるように言い聞かせました。

 

しかし、妻からすれば、娘たちや私の気遣いは有難いものでは無く、いつまでも病人扱いされていることがストレスになっていたのです。私としては、妻に疲れを溜めずに治療に専念してもらいたいとの思いがあったのですが、その思いが行き過ぎて、妻の行動を必要以上に制限してしまっていたようです。

 

妻が職場復帰を急いだ時、私としては治療が終わるまでは無理しないで欲しいと考えたのですが、妻としては、たとえ時短でのリハビリ勤務であっても、治療と仕事を両立させることで家族からの病人扱いを払い除けたいと思ったのかもしれません。

 

閉塞感

そんな一件があったせいで、妻と私、妻と娘たちの間に微妙な空気が漂っています。我が家では喧嘩を翌日に持ち越さないことにしているので、表面上は“普通”の日常を送っていて、あの夜のことはどちらからも振れることは今のところありません。

 

ただ、妻の性格からして、“病人扱いされている自分”をすんなりと受け入れることは出来ていないはずで、また同じことの繰り返しにならないことを祈るばかりです。

 

妻の治療開始からこれまで、私は家族との時間を最優先に考えるようになり、在宅勤務を主にし、介護休業も経験しました。現在も家事を中心に日々の生活を送っています。思うに、私に限って言えば自分の望んだとおりに生き方を変えられたのです。

 

他方、妻としては、がんを宣告されたこともショックだったでしょうが、思いどおりにならない自分の体や行動が制限されたことでストレスを募らせていました。私と違って外向的な妻が、この二年余りの間、ほとんど家族以外の人間と顔を合わせることなく過ごして来たことは、誰かを恨むものでは無いにしても、自分の時間を止められたに等しい苦行を強いられている状態なのだと思います。

 

恐らく、妻の中の閉そく感は、時たま外に連れ出すくらいでは解消出来ない、やり場の無い怒りを伴って燻ぶっていることでしょう。

 

私としては、何とかこの状況を変えたいと考える反面、治療が終わるまではじっとしていて欲しいと言う思いを消すことが出来ない状況が続いています。