和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

対岸の火事

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空虚な同情

これだけ世界が小さくなり、地球の裏側の出来事もリアルタイムで知ることが出来る世の中では、他人事も他人事として脇に追いやるのが難しくなりました。

 

1990年の夏、湾岸戦争が始まった時、生中継で映し出される戦闘に衝撃を受けた記憶がまだ残っていますが、今回のロシアによるウクライナ侵攻では、30年前とは違い、一般人でも世界に向けて情報を発信できるツールを持っているため、一市民の目線から伝えられる戦争のリアルさが余計に胸に迫ってきます。

 

とは言え、それはテレビやパソコンの画面の中の話で、自分自身の実体験ではありません。同じ空の下で起こっている出来事、決して他人事として片づけてはならないものでありながら、自分の感情が上手く整理出来ていません。

 

今、私の周りには戦争体験者はいません。妻の父親は戦後にシベリア抑留を体験しましたが、義母がそのことに触れると俄かに話を遮るほど苦々しい経験だったのでしょう。妻も父親から戦争体験を聞いたことが無いと言います。聞いてはいけない話題なのだと思っていたようです。

 

私の父は終戦当時まだ徴兵年齢に達しておらず、戦地に送られることは免れましたが、学校で勉強していた想い出よりも軍需工場で働いていた記憶の方が頭に残っていると言っていました。しかし、それ以上のことを多く語ろうとはしませんでした。

 

つらい戦争体験を後世に残そうと語り部として尽力している方々がいる一方で、妻や私の親のように自身の記憶から消し去りたいと言う思いを抱きながら生きて来た人間もいるのが、一層戦争の悲惨さを引き立てるように感じました。

 

また、仮に身内の戦争体験を聞くことで、間接的にその辛さを感じることが出来ても、自分が経験したことでは無い以上、疑似的な感情は所詮“疑似”を超えることはありません。かと言って、本物の戦争を見てみたいかと言われれば、私にはそこまでの覚悟など無いのです。

 

彼の地の悲惨な状況と今の私の置かれている状況を比べることなど何の意味もありませんが、ミサイルが飛び交ったり爆弾が頭の上で炸裂したりすることなど想像出来ない - 想像する必要すらない – 平和な国に住んでいることは奇跡的な幸運なのだとしみじみと思うのでした。

 

それと同時に、戦禍を被っている人々に対する自分の感情が、どこか空回りしているような気がします。「対岸の火事では無い」と言いながら、上辺だけの同情の域を超えることが出来ない自分を認めざるを得ないのです。

 

謂れなき反感

私は仕事上、ロシア人の知り合いが何人かいるのですが、今、彼らは北米の地で肩身の狭い思いをしているようです。

 

彼らのうちで、週に数回メールのやり取りをしている相手とは、ウクライナ侵攻や対露制裁がエスカレートした後も普段通りに接していました。こちらからあえて“そのこと”に触れずにいたのですが、先週の彼からのメールでは、業務連絡の後、淡々とロシアの両親に仕送りが出来なくなったことと、同僚がよそよそしくなったことが書かれていました。

 

ロシアの大手銀行がSWIFT(国際銀行間の決済ネットワーク)から除外された上に、マーケットの混乱でルーブルへの両替が難しくなっていると言う話は聞いていましたが、個人レベルでも影響が出て来たのです。

 

現時点では、ロシアと欧米諸国は戦争状態に無く、彼自身が生活を送る上で不利益を被っているわけでも無いのでしょうが、これから先は分かりません。彼の就労ビザも国籍を理由に延長が認められないこともあり得ます。

 

同僚がよそよそしくなったと言うのは、私としては身につまされる思いを感じました。このような状況になると、急に冷淡な対応をする人間が多少なりとも出てくるようですが、それはどこの国でもあることなのだと思います。

 

海外駐在中、私の娘たちも、真珠湾攻撃のあった12月7日(時差の関係で、彼の地では12月7日が真珠湾攻撃の日)には、学校の授業で決まってその話が出て、居心地の悪い気分を味わいました。毎年のことです。日本人と言うだけで八十年も前のことを理由に白眼視されることもあるわけですから、ウクライナ侵攻とは全く無関係の個人に対して、分別の無い子どもや不満の捌け口が欲しい大人が敵意を示すのは想像に難くありません。

 

私は駐在中、彼には何かと世話になって、とても良好な関係を維持してきました。もし仮に国同士が戦争状態になったとしても、それを理由に彼を忌み嫌うようにはなりません。彼にもそうなってほしくはないと願います。