和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

肩の荷を下ろす

早期退職

私と同期の人間が早期退職することとなりました。同期と言っても相手は院卒。誕生月の6月一杯で役職定年を迎えるのに合わせて会社を去ることを決めたのでした。

 

在宅勤務中心の私が会社に顔を出すのは、同じ部の人間からも珍しがられるようになってしまいましたが、そんな珍しい日がたまたま退職する同期の最終出社日と重なりました。

 

彼とは職種が違うため、仕事上関わることはほとんどありませんでした。言葉を交わすのは同期会くらいのものでしたが、最後に開いた同期会がいつだったかも忘れてしまうくらいに彼と最後に話をしたのも随分と昔のことのような気がしました。

 

既に禁煙者となった私でしたが、その日は彼に付き合って喫煙室で数年ぶりに煙草を口にしました。問わず語りに彼が話したのは自分の息子さんのことでした。

 

その子がまだ幼稚園に上がる前に彼が離婚したことは同期であれば誰もが知っている話でしたが、その後のことは誰も彼に聞くことはありません。そして、彼もプライベートなことは口にしませんでした。

 

仕事が本当に好きだったのか、野心に突き動かされていたのかはともかく、彼の勤勉さは人伝に私の耳にも届いていました。そんな彼が“失速”した理由が、上司との折り合いなのか、何等かの失態を冒してしまったのかは分かりませんが、同期会では酔うほどに彼の口から仕事の愚痴がこぼれるようになりました。

 

確かに、最後に彼と交わした会話も仕事の愚痴の類だったとふと思い出しました。そんなこともあって、私は、彼が会社を辞める理由を勝手に想像していました。

 

モチベーション喪失

彼は息子さんが結婚したことを話し始めましたが、そこには親としての感慨など無い、どこか他人事のような話ぶりでした。結婚式に呼ばれることを期待していた彼にとって、我が子に会っても恥ずかしくない姿とは、会社での役職に装飾された自分だったようです。

 

しかし、彼は息子さんの晴れ姿を見ることを許されませんでした。思春期に差しかかり、会うことを拒絶されて以来、彼は息子さんと顔を合わせずに過ごして来ました。そんな状況にも拘わらず、彼は親子の再会がいつか実現することを期待していたのでしょう。結局、期待は叶わず、それが早期退職の引鉄になったと言います。今まで心の張りになっていたものを喪失し、仕事を続ける意欲を持てなくなってしまったのだと理解しました。

 

煙草一服分の話の間、私は口を挟まずに耳を傾けていました。彼に尋ねたいことは山ほどありましたが、今さら聞いたところで仕方の無いことを質問するほど無粋なことはありません。

 

肩の荷を下ろす

私たちはいろいろなものを背負い込んで生きています。歳を重ねるに従い、肩にのしかかるそれは重く、そして降ろしづらくなります。

 

家族に対する責任、仕事に対する責任。家族への思い、会社への思い。背負い込んで、もがき苦しんで- でも、その先に報われると言う保証はありません。

 

私もつい最近までは、自分の果たすべき責任を背負って苦労しながら生きて行くのが人生なのだと思い込んでいました。しかし、自分が思っている責任やそれを成し遂げるための苦労は、詰まるところ一人よがりでしかありませんでした。

 

“努力の甲斐”は、いつもあるわけでは無く、むしろ徒労に終わることの方が多いのかもしれません。その挙句に、事が思いどおりに進まないと、自分だけが割を食っているとか、報われないとか、負の感情が湧き上がってきます。結果を期待するからこそ、期待に沿わない時の失望が大きくなるのです。

 

反対に、見返りを求めない行為は、同じ努力でも徒労に終わることはありません。その行為自体が自分を満たしてくれるからです。自分が勝手に責任だと考えて担いできたものを下ろすのは勇気がいることですが、それが出来た時、見ている景色が変わり、自分の役割が見えて来るのではないかと考えます。

 

私は同期の彼に、“落ち着いたら”飲みに行こうと誘いましたが、それがいつになるのか、もうこのまま再会することが無いのか分かりません。