和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

花を咲かせる場所

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はじき出される駒

私の勤め先では、6月の定時株主総会後に大幅な組織変更が行なわれました。幸か不幸か、私の部署を含む本部では組織の変更は無かったため、部内ではどこか他人事のような受け止め方です。

 

組織変更の大きな狙いがポスト削減であることは一目瞭然でした。そして、今回影響を受けなかった部門でも早晩組織変更が行なわれると考えるのが普通です。

 

年功制が生きていた時代は、員数の増えた幹部社員のために新たな組織を作るなど、業務上の必要性とは別のところで、ポストの増殖が進んでいました。今までの人手不足はそのような組織の拡大・細分化が原因のひとつでした。

 

人手不足とは言え、実際に梃子となって動く社員が足りていないだけで、管理職はそうではありません。実際に多くの部署で見られる現象は、複数の上司に部下が一人と言う逆三角形の人員配置です。実務者の手が足りないところを、兼務で胡麻化しているのです。組織を集約すれば、常態化した一般社員の複数部署の兼務もある程度解消されることでしょう。

 

しばらく前に、会社は幹部社員への昇格条件の厳格化を行ないました。表向きは年功制度を廃し、能力主義の徹底を図るとの理由でしたが、要は、人件費の削減が目的です。

 

それに加えて今回の組織変更では、組織のスリム化と意思決定の迅速化が目的らしいのですが、部課長ポストを減らすだけで、名誉職を置かないため、ポストから外れた社員は、降格か関連会社の出向と言う扱いを受けるのがほとんどのようでした。それを受け入れられなかった社員は会社を後にしました。

 

組織変更でポストが減らされると言う噂は、かれこれ1年近く前から流れており、私の部署でも、幹部社員は皆、戦々恐々としていたのを思い出します。私も人事発令を見るまでは、ここまで大胆に管理職のポストが削減されるとは想像していませんでした。6月末で早期退職する幹部社員が多かったのは、これが原因だったのです。

 

今回早期退職を選んだ幹部社員のほとんどは40代です。彼ら・彼女らはきっと次の道を決めてから退職を決意したはずです。翻って50代の幹部社員の大半は、降格の憂き目に遭おうと、会社に留まる方を選びました。

 

これまで、少なくとも役職定年を迎えるまでは、今いるポストに留まることができると期待していたのが、突然、自分がはじき出されると知れば、会社を出て別の道を探る者が現れてもおかしくありません。逆にある程度の年齢を超えてしまうと、同等の待遇での転職の可能性は限り無く低くなるため、アーリーリタイアメントやセミリタイアメントを決断するか、大人しく会社に留まるしか選択肢は無さそうです。

 

花を咲かせる場所

役職定年のように規程上の降格であれば覚悟はできるでしょうが、不意打ち的な降格は、その目に遭った本人としてショックであることは想像に難くありません。ただ、今回の組織変更に伴う降格では、特例として給与は下げないことを人事部は約束しているそうです。私など、外野の無責任な人間の目からは、責任が軽くなって給料が据え置きなら良いこと尽くしではないかと思ってしまいます。

 

私は実際に、今回の件で降格となった人間と会って話をしたわけではありませんが、ほとんどの残留組が私と同年代で、あと数年で役職定年を迎える位置にいます。それが数年ばかり早まったと思えば、少しは気が楽になるのかもしれません。

 

会社の中には、異様にポストに執着する者や、さらに上を目指す野心を持つ者もいますが、仕事は社内での自分のポジションを上げて行くゲームでは無いはずです。それに気がつかないと – あるいは気づいていても、ポストにしか関心が持てないと – 管理能力の有無とは別の、社内での世渡りに長けた管理職が増える結果になってしまいます。

 

また、役職定年や降格となった途端に、抜け殻のようになってしまう者もいます。せっかく後進への指導能力や、業務上の広範な知見を持っているのに、それを駆使すること無く残りの会社人生を、消化試合のように過ごして良いはずはありません。それなら、むしろ会社を出て新しいことに取り組む方が余程人生の色付けができます。

 

降格しても、そこで自分の知識や経験を活かすことが出来るのであれば、それを新たなミッションだと考えることが出来ます。自分の花は、咲かせる場所を自分で選ぶことが出来るのです。

 

過去の記事で何度か触れましたが、社内でどこまで登り詰めようと、退職すれば、普通のおじさん・おばさんに戻るのです。普通の人に戻った後でさえ、事あるごとに過去の実績を引き合いに出して自分を大きく見せようとする者がいますが、それは自分の周りから人を遠ざけることにしかなりません。

 

中学生の時に学級委員長だったことをいつまでも自慢し続ける人はいないと思います。少なくとも私の知る限り、そんな人はいません。最終学歴や退職した会社での“最終役職”も同じです。他人の自慢は、傍から見れば「だから、何?」程度のものでしかないのです。