和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

危機感と面子と (1)

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やりがいを求めて

私が海外駐在していた頃、出向していた現地企業に後から派遣された中堅社員 – Tさん –

がいました。Tさんは技術者だったので、私と仕事上で関わることはほとんどありませんでしたが、月に1度程度、週末には家族同士で食事をして近況を報告し合う仲でした。

 

Tさんの出向期間は予め4年と決められていて、その期間はあっという間に過ぎて行きました。そして、帰国の準備を始める頃に、彼から転職の相談を持ち掛けられました。相談とは言っても、Tさんの気持ちは決まっていて、私の“最後の一押し”が欲しかったのだと思います。

 

Tさんは、自分の能力と経歴が通用するのか、“試しに”出向先とは別の現地企業にコンタクトしたところ、トントン拍子に話が進み、採用のオファーをもらい、あとは本人が返事をする段階まで来ていました。

 

ご家族は奥様と小学1年の女の子。奥様は現地での生活にも慣れ、このままこの地で暮らして行くことに反対はしていない様子。むしろ、旦那さんの気持ちを優先したいと言っているようでした。

 

さらに詳しく話を聞くと、給料が大幅にアップすることも魅力ではあるものの、それ以上に、インタビューの席上で自分に任される仕事や将来のキャリアパスについて明確な説明があったことがTさんを惹きつけたと言います。

 

もちろん、日本の会社と違い、期待どおりの成果を上げることが出来なければ解雇されてしまう厳しさはありますが、自分の希望するような働き方が叶わない会社にいるより、はっきりとした目標の下で仕事をすることに魅力ややりがいを感じたのでしょう。

 

私はTさんの実直な性格から、決して浮ついた気持ちで転職を考えたわけでは無いことは分かっていました。そして、彼に今の気持ちを大切にして判断するように言いました。

 

優等生の反乱

Tさんは、オファーを受ける返事をした後、すぐに本社技術部門の上司と連絡を取り、出向期間満了後に退職したい意向を伝えました。予想どおり、上司からは、日本に帰ってからゆっくり話をしようと持ち掛けられたそうですが、Tさんは私のアドバイスに従って、間髪入れずに退職願いを本社に送りました。

 

私と家族は、Tさん一家の新天地での第一歩が始まることを祝福しましたが、その頃本社では大変なことになっていました。当時、すでに若手・中堅社員の流出が懸案となっていましたが、Tさんの転職は上司としては全くの想定外で、しかも、本人のキャリアの箔付けのための海外企業への出向が仇となってしまったことから、上司の面目は丸潰れ。

 

「丸潰れ」とは私の言葉では無く、人事部長から私のところにかかってきた電話であちらが発した言葉でした。

 

Tさんの上司としては、これまで最大限の評価を彼に与え、一番きれいに舗装された出世街道を用意していたにも拘わらず、その期待を裏切られたことのみならず、Tさんを優遇するために同じ部門の競合相手を排除して来た自分の“読み”が外れたことで、面子を潰されたと感じているようでした。

 

この件に関して門外漢の私にわざわざ人事部長が電話をしてきたのは、Tさんの転職が、他の人材流出とは意味合いが違うからで、もし、私がTさんの転職の意向を事前にキャッチしていたなら、なぜTさんに思い止まるように説得しなかったのかと、責任追及の矛先をこちらに向けるつもりだと言うことが想像出来ました。

 

私は、Tさんの転職は、自分にとっても青天の霹靂だとシラを切り、Tさん本人は、自分がぞんざいに扱われたと感じたのではないか、と人事部長に私の考えを伝えました。毎月の本社宛の報告書には何の感想も質問も返って来ず、帰任時期まで3か月を切っているにも拘らず、復帰先は“とりあえず原職”としか教えてもらえず – Tさんが疎外感を覚えていたことは確かです。

 

本社では、Tさんの転職を食い止められなかったことに対する“犯人捜し”ばかりに終始し、Tさんが転職を決意した理由については、誰も彼の心に思いを馳せる気配が感じられませんでした。

 

そもそも、転職を考えるきかっけは、現状の仕事や人間関係への不満、将来の不安など、人によって様々ですが、そのような不満や不安が一定レベル以下のうちは、大概は、転職よりも現状維持の方を志向するものだと思います。

 

上昇志向は仕事を続けるモチベーションの一つであっても、最重要のモチベーションであるとは限りません。将来の昇進・昇格をちらつかせておけば言うことを聞く部下もいれば、やりがいと言った仕事の本質的な部分が満たされることが原動力になる社員もいるのです。

 

期待している部下が会社を去ることのショックが大きいのは当然です。自分の後継者と目していた人間が突然いなくなってしまえば、その後釜を探すのは簡単なことではありません。“二番手”や“三番手”が後に控えているならまだしも、中堅どころの流出が止まらないのですから、会社としては、後釜探し以上に、Tさんの退職による“波及効果”を恐れていたとしても不思議ではありません。

 

しかし、そのような危機感が目に見える動きとして現れないのが、今の会社の限界なのでしょう。同じことが繰り返されることになるのですから。(続く)