和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

仕事上の関係

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部下からの一言

数年前、部内の歓送迎会で、当時の部下から、私のことを冷たい人間だと言われたことがあります。酒の席でのことで、彼女の表情からも悪気が無いことは分かりました。

 

一次会が終わり帰途につこうとしていた私に、滅多に二次会には付き合わないことを、「冷たい」、「見えない壁がある」と彼女は言いました。私はそれを軽い冗談と受け流しましたが、帰りの電車の中でその言葉が耳について離れませんでした。

 

部下全員がどう考えているかはともかく、また、冗談だとしても、心にも思っていないことが不意に口から出ることも無いでしょうから、彼女の言葉は日頃感じていたことなのだと理解しました。私が相手にそう思わせるつもりは無くても、観察力に長けた人間から見れば、私は相手を近づけないような雰囲気を醸し出していたのでしょう。

 

人間関係に対する考え方の変化

年齢と経験を重ねるに伴い、人との付き合い方は変わるのだと思います。

 

私の場合、就職するまでの交友関係は、気が合うとか、趣味が共通しているとか、一緒にいる時間を快適に過ごせる相手との付き合いだけでした。損得勘定で相手を選ぶことなど考えてはいません。

 

損得を抜きにした間柄は、相手との信頼関係だけが拠り所なので、相手が自分にとって信頼の置けない存在になれば、その瞬間に関係は終わります。

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信頼していた相手からの裏切りは、将来の教訓にもなりますが、そこから先の潜在的な人間関係の構築に影を落とすことにもなります。

 

人を疑ってかかる。心を開かない。今度は自分が相手を利用してやろう - 過剰な防衛本能が悪戯することもあるでしょう。また、騙された自分に対する憎悪を拭い去ることが出来ず、無関係の誰かを傷つけることで、見当違いの仇を打とうとする人間もいます。

 

私は自分の都合で誰かを利用しようと考えたことはありませんが、相手との距離を縮めようとする思いが猜疑心に阻まれた経験は少なからずあります。

 

人間不信は、一度取りつかれると意外に根深く克服し難いものです。善意の相手に対しても猜疑心を抱くようになり、それを払拭できるほどの時間を共に過ごしたはずにも拘わらず、「今は大丈夫でも、いつか裏切られる日が来るのではないか」と常に不安の薄い膜に包まれます。

 

仕事上の関係

それまでの私は、過去に人間関係で嫌な思いをしても、人とのつながりに対する期待を持ち続けていました。会社に入ってしばらくの間は、上司や同僚との信頼関係の構築に腐心していました。それは、自分が仕事をする上で、サポートしてくれる人が多ければ多いほど、良い仕事が出来るのだと信じていたからに他なりません。

 

私が若い頃に親身になって仕事を教えてくれたり、アドバイスをしてくれたりした上司や先輩はいましたが、同時に下の人間を道具のようにしか見ない年長者もいました。それでも私は、“良い人間関係”を作り、広げていくのは自分次第だと言う考えを変えませんでした。

 

しかし、会社には逃げ場がありません。職場で働いている限り、否応無しに自分の忌み嫌う人間とも顔を合わさないわけには行きません。自分にとって好ましい人間関係の輪を広げようと言う当初の思いは空回りし、反対に、逃げ出したいほどに不快な柵に絡め捕られそうになるのを必死に堪えていた時期があります。

 

全ては仕事のため。良い仕事をするためには、自分とは相容れない考えを持つ人間とも付き合っていかなければならない。それは、信頼などとは程遠いものでした。

 

何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないことは頭では分かっています。しかし、付き合う相手は、自分の姿を映し出す鏡のようなものです。自分を認めてくれる相手といる時の心地良さは、生き生きとした自分の姿を相手の中に見出すことが出来ます。反対に、自分を否定する相手の中には、醜い自分の姿が映し出されます。

 

そんなことを繰り返していると、醜悪な自分を見たくないがために、相手のことを直視出来なくなります。相手が誰であろうと疑心暗鬼になってしまいます。

 

気がつけば、私は簡単に心を開かない人間になっていました。30代半ばで芽生えた会社や仕事に対する“割り切り”は、そこでの人間関係にも影響を与えることになりました。職場の人間関係はあくまでも仕事関係。深入りは無用。人としての信頼では無く、一緒に仕事をするために必要なだけの信用が保てれば十分。

 

それまでの付き合いで、本当に信頼出来ると確信が持てた先輩や元上司はさておき、異動等で初めて一緒に仕事をする相手と人間関係を構築する際には、自分から率先して相手との距離を縮めようと努めることはしなくなりました。もちろん、仕事上の必要最低限の協調性を保つことまで蔑ろにするようなことはありませんでしたが、自分から相手との間に見えない壁を作ってしまいました。

 

部下から相談を受ければ、親身になって一緒に悩み、仕事が円滑に回るような、“良好な”人間関係を築き維持するために動くことはしても、それは自分の本心からでは無く、役職上の義務感がそうさせていることに気づいていました。

 

部下から「冷たい人間」だと言われたからとて、私が部下に阿るような態度に出ることはありませんでした。会社は仲良しクラブでは無く、上司と部下との関係は一定の距離を保った良好な関係であれば良いのだと言う考えは変わりません。

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