和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

心の対人距離

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刻み込まれた嫌悪感

他人の不幸をほくそ笑む者がいます。誰かが歯ぎしりしたり、地団太を踏んだりして悔しがる様。それを見ることに喜びを感じる者がいます。

 

そのような人間は、人の苦しみを吹聴して回り、陰で悩める人間を嘲笑うことに喜びを感じているのです。私はまだ若い頃に、信頼していた上司からそのような扱いを受けて以来、会社の中では本音を晒すことは無くなりました。

(優しい相談相手)

 

周囲への猜疑心は簡単に払拭できるものではありません。同じ部署の先輩だけでなく、廊下ですれ違う別の部署の社員まで、自分の病気を知っていて陰で馬鹿にしているのではないかと考えると、そのような被害妄想は歯止めが利かなくなり、仕事どころでは無くなってしまいました。

 

昔からの私を知っていて、職場復帰した後、何かと気にかけてくれた先輩社員に対しても私は失礼な態度を取ってしまい、そのような大切な存在が次々に自分から離れて行ってしまった時期がありました。

 

しかし、一度刺激された防衛本能は、簡単には制御できません。それは今でも続いています。同僚や、上司や部下と表面上は普通に付き合っていますが、自分が引いた一線から中には立ち入ることを許しません。

 

件の元上司が退職の挨拶に回ってきた時、私はさりげなく席を外して、当時はまだ社内にあった喫煙所に身を潜めました。胸のむかつきがしばらく止まりませんでした。私と元上司との間で何があったかを知っている者はいませんでしたが、私の中の嫌悪感が無くなることはなかったのでした。

 

対人距離は、お互いの親密度が増すのに比例して近くなって行きます。しかし、親しい関係が何かの理由で壊れ、相手に対して嫌悪感を抱くようになると、それまで肩が触れ合うことも気にならなかったのが、赤の他人以上の距離を取りたくなるものです。

 

同様に心の距離の近い相手が嫌悪の対象になると、遠くに突き放したくなります。一時期の私は正にそれでした。とにかく自分の近くに誰も寄せつけたくなかった。物理的な距離だけでは無く、自分の内面に近づいてほしくなかったのです。

 

そんな思いをするくらいなら、最初から必要以上に親しくならなければ良い。他人と一定の距離を保つこと。それが私の出した結論でした。

 

「ノー」と言える距離感

人との距離感を意識するようになったのは、私の個人的な事情が発端でしたが、やがて、自分が中間管理職となった頃には、他者との間に一定の距離を置くことが仕事を進める上で必要なものになっていました。

 

コロナ禍での懇親会自粛が始まる前の話ですが、部内の歓送迎会の席で、ある元気の良い女性社員が言いました。「部長はいつまでたってもよそよそしい」。要は、部下と打ち解けていないと言いたかったらしいのです。

 

私はその時どのように答えたか一言一句までは覚えていませんが、こんなことを話しました。「会社は同好会ではない。仕事をする上で信頼できる関係を作ればそれで十分。それ以上の、馴れ合いの関係になってはいけない」。

 

その場ではもう少しソフトな言い回しだったと思いますが、話の趣旨は変わりません。私にそう言わせたのは、過去の経験から他人を心底信用しなくなったことも理由としてゼロではありませんが、上司に対しても部下に対しても、何かで対立した時に情に流されて自分に嘘を吐いてしまうことを恐れているからだと思います。

 

仕事をしていると、いつか「ノー」と言わなければならない局面がやって来ます。私はその時のために、信用して仕事を任せ、任される関係を大切にする一方で、必要以上に親しい関係にはならないようにしてきました。

 

「良い人」でなくても良い

周囲から「良い人」と思われたい。そのために“良い人”を演じている人も多いと思います。私も「良い人」と思われたい一人ですが、そのために自分の本心とは違う役を演じることは出来ません。かと言って、敢えて人から嫌われるようなことをするつもりもありません。出来るだけ自分に正直でありたいと考えています。

 

これまで、部署間の軋轢や部下同士の諍いなど、様々局面で私が行なってきた“交通整理”を、「節介焼き」とか「善人ぶっている」と揶揄されたことがありました。部署同士、社員同士のトラブル解決に奔走する暇があったら本業に精を出せと上司に言われたこともあります。

 

しかし、険悪な人間関係の下で期待通りの成果が得られるはずも無く、本業に精を出すためには社員の間の健全な関係を構築することが第一だと思います。そのための調整役を担うことは決して無駄なことだとは思いません。私も、仕事に支障が出ない限りは、他人のトラブルに容喙したりはしません。

 

結局、自分の行動は、自分の物差しで“やる・やらない”を判断する以外ありません。そのためには、周囲との関係性における距離感は大事だと思います。