和尚さんの水飴

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象と鼠 (2)

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常識の押し付け

取り巻く環境の変化を目にして、私の勤め先でも、「会社を変えて行かなければ生き残れない」と言うくらいの危機感はあったのでしょう。人事部はそれまで頑なに拒んできた中途採用に踏み切りました。また、働き方改革を推し進めようと、“多様化プロジェクト”を立ち上げました。しかしながら、両方ともうまく行ったとは言えません。

 

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会社が古い革袋を大事に守ろうとしている間は、新鮮なワインを注ぎ込んでも無駄にしてしまうだけなのです。

 

私は他社出向の経験があります。8年も別の会社で働くと、気分的には転職して元の会社に出戻ったのと同じようなものです。海外駐在から本社に復帰した際、知らず知らずのうちに外の常識が染みついていた私は、本社の仕事の進め方に拭い切れない違和感を覚えていました。

 

無駄な長時間会議、意思決定の時間のかけ方、責任の取り方の曖昧さ、同調圧力。出向前は何の疑問も感じずに“それが常識だ”と信じていたことが、すんなりと受け入れられません。同じ風景を見ているのに、まるで別の人間の目を通して見ているような感覚です。帰国直後は、自分が変になってしまったのではないか、早く本社の仕事に慣れなくては、と気が急いていたのですが、中途採用者と話をし始めると、違和感を抱いていたのは彼ら・彼女らも同じだと分かりました。

 

中途採用者と一緒に仕事をしていると、「前職では」とか「御社では」と口にするのをよく耳にしました。すでに会社の一員になっているのに、“御社”は無いだろうと言うと、慌てて訂正しますが、今までの自分の常識と現在の状況との間のギャップを埋めることが出来ずに、思わず出てしまった言葉なのでしょう。

 

中途採用者の言う“前職では普通のこと”が全て正しいわけでは無いのでしょうが、それでも、彼ら・彼女らの不満は、転職してきた後、ほとんど問答無用に「郷に従え」を強要されているのが原因だと、私は考えました。

 

例え、中の常識や慣習だとしても、自分の意に沿わないことを強要されればされるほど、受け入れ難くなるのは自然のことです。

 

象と鼠

私が出向していた外国企業では、日本のような新卒大量採用制度はありません。むしろ、大学出たての場合、在学中にインターンで働いてでもいなければ採用されません。ほとんどの社員は転職者なのです。年齢や在職年数による上下関係など無く、人間関係はとてもフラットです。

 

そして、従業員のバックグラウンドは様々で、人種の違い、国籍の違いなどから、個々人の考え方はそもそも違うのだと言うことが全ての前提になっていました。

 

そのため、広義の異文化コミュニケーションのための研修がかなりの頻度で行なわれていました。それは、専門家によるレクチャーもあれば、従業員自らが自分の母国や出生地の文化・風習を伝える“授業”もあり、そのような活動を繰り返し行うことによって、他者の考えを尊重することの大切さを社内に広めようと努力していました。

 

他者との違いを認めるのと同様に、その会社で徹底していたのは、全員が主役であるとの意識を社員に持ってもらうことでした。役職の違いはあるものの、会議の場では上下関係に囚われずに自分の考えを述べることが出来ます。上司への忖度などありません。

 

そして、部下が自分と異なる意見を持っていようと、上司はそれを頭ごなしに否定することはありません。明らかに検討違いの意見ならいざ知らず、大抵の場合は、会議の場で、異なった考えをどうしたら融合・昇華させることができるか、全員が真剣に取り組みます。そこでは、「発言無き者は会議に参加する資格無し」とか「会議に出席したら一言でも発言しよう」など、わざわざ言いません。発言を強いられることも、阻まれることも無く、全員が全員を受け入れる環境が整っていました。

 

ある同僚が、「自分たちはちっぽけな鼠だが、鼠が集まって象を支えていることを誇りに思っている。象はそのことを知っているから、決して鼠を踏みつぶしたりしない」と、自信に満ちた顔で言ったのを覚えています。

 

融合が同化か

翻って、私の勤め先では、中途採用の“歴史”は浅く、中の常識と異なった考えを持つ人間を雇っても、どのように共存するかまで考えが至っていなかったのだと思います。悪い言い方をすれば、外からの異分子を組織に同化させることしか考えていなかったのです。組織の活性化が目的なのであれば、外部の、自分たちとは異なった考えでも、是々非々で取り込み、自分たちの考えとの融合を図るべきでした。

 

少なくとも私が中途採用者から話を聞いた限りでは、職場の多くの場面で、彼ら・彼女らに与えられた選択肢は、中の常識を受け入れるか、去るかの二択しかなく、両者がお互いに常識のギャップを埋め合わせる努力をする道はありませんでした。

 

中の常識の押し付けと中途採用者の不満。後者に同調した私は、上の人間から馬鹿呼ばわりされましたが、それこそが中の常識に囚われている証拠でした。