和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

介護飲み会

コロナ禍をきっかけに飲み会の回数はゼロになりましたが、その間も気の置けない知人とはリモートでの飲み会を続けていました。

先日、久しぶりにオフ会をしようという話になったのですが、すっかり家飲み派になってしまった私は、楽しみ半分、面倒臭さ半分で、出欠を逡巡していたところ、飲み仲間にひとりから、家族の介護を理由に「残念ながら欠席」との連絡が入りました。

私と同年代の彼は、昨年末に倒れた老父の面倒を見るために早期退職していました。いわゆる介護離職です。

年老いた親の世話にまつわる問題は、私にとっても他人事ではありませんでした。私の母親はなんとか独り暮らしができている状態ですが、年々衰えている様子が分かります。

今はまだ私が月に二回程度様子見をする程度ですが、これから様子見の頻度が増えることはあっても減ることはないでしょう。それどころか、独り暮らしができなくなってしまう日がいつやってきても不思議ではありません。

私は、「もし、負担でなければ」とオンライン飲み会を提案しました。メールを送った後で、私は機微に触れる話なのに軽々しい提案をしてしまったことを反省しましたが、皆快く賛同してくれました。

今回のリモート飲み会には六名が参加しましたが、これまでは親の介護の話には触れてきませんでした。しかし、五十代から六十代ともなれば、それぞれの親も高齢になっています。本人あるいは配偶者の老親の面倒を見つつ自分たちの老後の心配もしなければならない ― 面倒の“度合い”は様々でも悩みは似たり寄ったりです。

自分たちの親に、人生の終盤をどう過ごしてもらいたいのかを考えることは、自分たちがどのように人生を終えたいのかを考えることにもなります。

普段、母親を訪ねても真面目な話は避けてきました。おそらく、母に“人生の最後をどのように迎えたいのか”など、改めて問うても「縁起でもない」とはぐらかされるのでしょうが、少し真剣に話しておいても良いのではないかを感じました。