和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

悩みの消失

警告と機会

前回の記事を書いている時、我ながら昔の自分を思い出して苦笑してしまいました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

ひとつひとつの問題は決して解決不可能ではないのに、一度に何とかしようとして全てが中途半端になり身動きが取れなくなってしまう – コロナ禍の直前までの私がまさにそのような状態でした。

 

会社では、マルチタスクに対応できない部下に向かって「段取りが大切」などと分かった風な言葉で指導していた私が、自分のこととなると全く“なっていない”有様でした。

 

仕事そのものはまだ“回せている”自信がありました。部員の転職で生じた穴は私を含めた管理職が休日出勤や残業でカバーしていました。

 

他方、プライベートに関しては、独り暮らしをしている老母が気がかりでした。年々できないことが増えていく母。私は家の片づけや食材・日用品の買い出しのために月二回程度、母親の顔を見に行くような生活を送っていました。

 

週末は会社で仕事をしているか母親の面倒を見に行くかのいずれかでした。自ずと妻や娘たちとの会話は減りました。仕事に嫌気がさしていたわけでも親の面倒を見るのが煩わしいと感じていたわけでもありませんでしたが、本来自分がいるべき場所にいる時間が削られ、私は疎外感と不安を覚えるようになりました。

 

そのような、自分が思い描いている生き方とは違う時間を過ごしている最中に、私は体調不良に襲われ、続いて妻の発病に直面しました。

 

当初、まだ私は仕事とプライベートの両立ができると考えていました。すでに家族と共有できる時間すら持てなかったにも拘わらず、私はまだ“回せる”と思い込んでいたのです。

 

悩みの消失

人生の目的など、それまで深く考えたこともありませんでした。家族を養うだけの稼ぎを得るのが自分の役割、そのためには家族との時間が少々削られるのは仕方のないこと。娘たちの躾や教育は妻任せ、家族サービスは義務。自分の時間は定年後まで取っておく - 私は仕事を言い訳にして家族や自分自身から目を背けてきたところがありました。もし妻が元気なままでいたら、そんな私は早晩愛想を尽かされていたかもしれません。

 

当時、妻ががんと闘うこととなったと知って私は頭の中が真っ白になりましたが、介護休業やその後、生き方を変えられたことを思うと、目に見えない何かが、私に警告と機会を与えてくれたような気がします。

 

会社での役割はいくらでも替えが利きます。自分がいなければ仕事が回らないことなど決してありません。家族の中での自分の役割はそうではありません。それに私が気づかなかったのは、妻や娘たちが文句を言わずについてきてくれたお陰でした。

 

五十代に差しかかってからようやく大切なことに気がついた私は愚かでしたが、それでも、早い時期に生き方の仕切り直しができたのは幸いでした。