和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老後の予行演習

フェーズの変化

異国の地を訪れて人生観が変わったなどと言う話を聞きますが、私はこれまで自分の人生観を変えた体験に出逢ったことはありません。

 

そもそも、私はこれまで自分の生き方を模索しつつも、確信できるようなものを見つけられないまま、五十代半ばに差しかかってしまいました。それでも、このブログを始める頃には、今まで以上に残りの人生の生き方を真剣に考えようとしていました。

 

コロナ禍や、妻の発病、そして私自身の体調不良がほぼ同じタイミングで降りかかったのは偶然のことでした。私としては映画やドラマにありがちな展開を望んでいたわけではありませんが、そんな偶然は私の人生観を変えるほどのものではなかったにしても、人生のフェーズを変えるきっかけにはなりました。

 

思うに、今の私の生活パターンは自分や家族を中心に回っていて、自分の中での優先順位で、仕事は一番ではなくなりました。以前は、自分や家族を第一に考えていても、時間や意識は仕事に向いていました。自分の“ありたい姿”と現実のギャップが、私の中の得体の知れない不安感や焦燥感の原因のひとつでした。

 

待たせる側から待つ側へ

当時の私は、家族と一緒に過ごす時間はごくわずかで、平日に夕食を家族と共に囲むことも会話を楽しむこともありませんでした。

 

妻は私の帰宅が遅くなっても寝ずに待っていてくれましたが、私はそれを普通に考えていました。私はずっと昔から家族を待たせる側の人間だったのです。

 

介護休業を経験し、また、会社の在宅勤務制度開始を経て、私が家事全般を担うことに決めたのは、家族を守るための、それ以外に取るべき手段は無いと言った追い詰められた感じがありました。

 

ところが、それから三年余り経った今、当初感じていた切実な思いは消え、家事や炊事を楽しんでいる自分を見つけることが出来ました。

 

毎日、仕事が終わればすぐに夕食の準備に取り掛かり、娘たちが帰宅するのを待ちます。私は待たせる側から家族を待つ側の人間に変わりました。

 

これまで常に頭の片隅に居座っていた不安感や焦燥感 – 気がつけば、私の中からそのような負の感覚はなくなりました。それは、自分がやりたいと思っていることと現実が合致している状態を楽しめているからなのでしょう。

 

まだ少し早いのかもしれませんが、私はこの感覚をリタイア後の自分の心持ちとして維持し続けたいと考えています。その意味で私は今老後生活の予行演習をしているのかもしれません。