和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

心の向きの変化

私の「できない病」

一年の計は元旦にありと言いますが、私はここ数年、新年の計画なるものを定めていません。会社なら、新年度に際して新たな目標を設定して、具体的な目標水準達成のための取り組み方針を決めますが、私はそのような抱負は立てず、ただ心穏やかに暮らすことに専念したいと考えています。

 

以前の私は、つかの間の休息にほっとすることはあっても、心が安らいでいる実感を持てずに過ごしてきたような気がします。“気がする”というのは、そもそも自分の心の状態を意識することから目を背けてきたからです。

 

仕事や親の面倒、やることが増えることはあっても減ることはなく、自分のために使える時間が減ることはあっても増えることはない - そんな状況で、自分を見つめる余裕がありませんでした。

 

私は自らその状況に身を置くことを選択したにも拘らず、その責任をどこかに転嫁して、現状を受け入れられない自分をごまかし続けてきました。

 

老母の世話や家族との時間 - 私は本当に大切にしなければならないことを劣後させてきました。私にとっての「できない病」は家族への言い訳でした。何の努力も工夫もしないまま、仕事を理由に長い間家族をおざなりにしてきたのです。

 

心の向きの変化

自分にとって、時間を一番注ぎたい大切なものは何なのか。誰かに教えてもらうまでもなく分かり切ったことをようやく直視できたのはほんの数年前のことでした。もし、妻の闘病や私自身の体調不良がなければ、私の「できない病」はまだ完治しないままだったでしょう。

 

忙しなく過ごす日々に得体のしれない不安感や焦燥感を覚えていたのは、持ち時間を自分のやりたいことに費やせないもどかしさが原因だったのだと、今の私はそう解釈しています。

 

今の私は時間の許す限り妻や娘たちの話に耳を傾けるようになりました。月に二回ほど様子を見に行く母親を疎ましく思うこともなくなりました。

 

働き方を見直し、自分が本当にやりたいと思えることに心が向いて、私は自分の居場所を見つけることができました。