和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

贅沢のすすめ

金銭感覚

我が家では、結婚記念日と家族それぞれの誕生日は外で食事することになっています。妻と私の金銭感覚からすると少々高めのお店を毎回選んでいるのですが、これはお金の使い方にメリハリをつけるためにあえてやっていることで、ほとんど外食をしない私たちにとってはささやかな贅沢の範囲内です。

 

外食に限らず、贅沢も度が過ぎれば浪費になってしまうので、その点は弁えなければなりません。幸いにして、妻も私も“もったいない”の境界線は結婚当初から変わっておらず、お互いに心地良いお金の使い方を肌感覚として共有しているので、これまでお金にまつわる諍い事とは無縁でした。

 

もし、妻が私の許容範囲を超えた浪費家や吝嗇家だったとしたら、私は我慢できなかったでしょう。それは妻の立場でも同じことだと思います。

 

今となってはどちらから“仕掛けた”のか忘れてしまいましたが、新婚当初に生々しいお金の話を持ち出してお互いの価値観を理解できたのは大正解でした。それだけ金銭感覚は共同生活を送る上で欠かせない条件だと思います。

 

贅沢への感謝

お金の使い方は、その人の性格と価値観が如実に表れます。

 

学生時代の私は、食費にも事欠くような暮らしを送っていました。アルバイト代の大半は学費とアパートの家賃の支払いで消えてしまいます。ある程度ゆとりのある生活を送るためにはアルバイトを増やさなければならず、当時の私にとって働くことは生きるための手段以外の何物でもありませんでした。

 

就職してからは奨学金の返済が重くのしかかりましたが、妻の協力のおかげで予定よりも早く完済出来ました。今思えば、奨学金には感謝する一方で、借金の返済は - 少なくとも私にとっては - 仕事の励みではなく息苦しさでしかありませんでした。

 

そのような経験から、私が目指してきたものは突き詰めると“お金で苦労しない生活” の実現でした。

 

私や家族を取り巻く悩みや不安の大部分はお金で解決できるので、お金があるに越したことはありません。ただ、いざと言う時のための蓄えは安全装置にはなりますが、妻や私にとってお金はそれ以上のものではありません。

 

お金を増やすことにあまり頓着してこなかったのは、それが安全装置にはなっても、必ずしも私たち家族を幸せにしてくれるものではないからなのでしょう。

 

私が考える心地良い生活レベルとは、たとえば、あり合わせの食材で作った料理を美味しいと感じられる心のゆとりのようなものです。そのようなゆとりがあればこそ、たまの贅沢がとてもありがたく感じられるのだと思います。