和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

家事の公平感

当番制からワンオペへ

妻が抗がん剤の治療を開始すると決まった時、私と娘たちで相談して家事を当番制にすることを決めました。上の娘は就職したばかり、下の娘は大学二年生。三人で公平に負担を分かち合うことで全て上手く行くと考えていましたが現実はそう甘くはありません。

 

三人の誰かに急な予定が入って当番に穴を空けてしまうと、途端に公平感が失われてしまいます。家事そのものではなく、決めていたとおり進まないこと自体がストレスになります。無理に作った家事のルールのために家族の関係がギクシャクしてしまっては元も子もありません。

 

私がワンオペで家事をやろうと決めたのは、妻が治療に専念でき、家族がひとつになれる環境作りを考えた結果でした。妻は当初、私が意地になって家事一切を引き受けたと思い込んでいたようで、私の考えを妻に納得してもらうのには結構な時間がかかりました。

 

もちろん、私自身、当初からワンオペ家事を続けていける確信があったかと言えば、そうではありませんでした。以前から週末限定での主夫業はしていましたが、これを毎日こなすとなると、どこかで嫌気がさしてしまうのではないかとの不安はありました。

 

ところが、家事を一年、二年と続けいるうちにそんな不安は霧散してしまいました。それ以上に、かつて共働きをしていた頃に比べて、家の中から忙しなさが消え、生活全体に落ち着きを感じられるようになったことが私の家事の励みになりました。

 

家事の公平感

私のワンオペ家事は、正確に言うと完全なワンオペではありません。娘たちは都合のつく限り私を手助けしてくれています。当番制は失敗に終わりましたが、緩やかな全員参加型の家事なら上手くいけそうな感じがしています。

 

当番制が難しいのと同様に、総量が決まっていない家事を家族全員で公平感を持てるように割り振るのも難しいと思います。家事を家族の一員として果たさなければならない義務と捉えてしまうと、負担の押し付け合いや、家事に関与できないことが罪悪感になってしまう可能性もあります。

 

実際に、以前の私がそうでした。平日、ほとんどの家事を妻に任せ切りだった私は、週末の家事を引き受けることで、妻に対する日頃の“借り”を返すことしか考えていませんでした。

 

あの頃の私にとって、家事の動機付けが義務感や後ろめたさだったとしたら、今の私にとってのそれは、家族が心地良く過ごせる環境を作りたいという願望と言えます。

 

本来の家事の目的は、今の私が感じているような、家族にとっての快適空間を維持するためのものなのでしょう。家族の中でその思いが共有されていれば、家事は“平等に負担すべきもの”から“積極的に関わるもの”に変わるのだと思いました。