和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

必要なものに使えるお金 (1)

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財布の紐を締める

私は就職するまでは独り暮らしで、アルバイトで何とか生計を立てていた状態だったので、お金の管理には同年代に比べてシビアだと思っていたのですが、会社に入り、単身寮で暮らすようになってから財布の紐が緩み始めました。

 

寮費や寮での食事代は給与天引きでした。その他は、通勤用の中古車のローンと奨学金の返済金が銀行口座から引き落とされます。当初は少しずつでも貯金をしようと考えていたのですが、先輩社員などとの付き合いもあり、毎月の給料日前には残高がゼロになってしまうような生活を送っていました。

 

そのような時に同じ職場の妻と付き合い始め、お互いに結婚を意識し始めた頃、妻が私に聞きました。貯金は出来ているのか、と。

 

当時の私は本当に何も考えていませんでした。何も考えていないのに、何故か根拠の無い自信に満ちあふれていました。二人で暮らし始めれば何とかなるだろうと暢気な考えの私に、妻は医療保険と年金保険に入ること、そして、会社の財形貯蓄を始めることを条件に結婚を承諾してくれました。

 

それは結婚する半年余り前のことだったのですが、妻の示した条件に従った結果、毎月自由に使えるお金は高校生の小遣い程度になってしまい、会社の同僚と夜の街に繰り出すことなど出来なくなってしまいました。

 

入社以来、あればあるだけお金を使う悪習慣が、貯蓄先行に変わりました。しかも若いうちに消費習慣を修正出来たことは、この後の生活に大きな影響を与えました。

 

結婚を機に、一旦緩んでしまった財布の紐を妻が締め直してくれたのですから、改めて彼女には感謝しなければいけません。また、元々浪費癖があったわけでも無く、学生時代はギリギリの生活をしてきたので、使えるお金が少ないこと自体は、私にとってストレスにはなりませんでした。もし、あればあるだけお金を使う習慣が染みついてしまっていたなら、私と妻は金銭感覚の違いで衝突していたことでしょう。

 

いくら稼げて、いくら使えるのか

私たち夫婦は、これまで折に触れ家庭のキャッシュフロー表の見直しをしてきましたが、結婚当初は、時には夜通し妻と顔を突き合わせて話し合いをしたこともありました。

 

妻は、結婚後も仕事を続けるつもりでしたが、当時の会社では、女性社員は結婚すれば寿退社、と言うのが“常識”でした。私も妻も抵抗しましたが、それに対して会社は、私に勤務していた地方の事業所から本社への転勤を命じました。別居婚か妻の退職か。悩んだ挙句、私たちは後者を選びました。

 

東京に転居して早々に、妻は就職活動を始め、運良く再就職できたのですが、給料は大幅に下がりました。

 

これから先どのように暮らして行くのかと言う目先の不安と、将来、どのように暮らして行きたいのかと言う希望。両者ともに問題は、いくらお金が必要なのかと言うことでした。そこで、二人で取り掛かったのがライフプランとキャッシュフロー表を作ることでした。

 

もっとも、私たちの場合は順番が逆でした。まず、お互いの生涯収入を見込み、二人の生活を続けた場合にかかるランニングコストから収支を計算し、90歳時点での蓄えがいくらになるのか - 自分たちの欲しいものにいくらお金を使えるのか - を把握しました。90歳を区切りにしたことは、特別の理由があるわけではありません。二人とも、そこまで生きられれば十分と何となく考えていたのでした。

 

とは言え、パソコンが一般の家庭に普及する前の時代です。方眼紙に定規で線を引いた、正に手作りの表に文字通り“手入力”する作業となりました。今でこそ、表計算ソフトを使えば、半日もかからずに簡単なキャッシュフロー表は作成できますが、手作りとなると、週末に社宅に引き籠っての作業になります。傍から見られたら、きっと変な夫婦と思われたことでしょう。

 

さて、計算間違いを直したりしながらようやく完成した表を眺めながら、私たちは何がしたいのかの優先順位を話し合いました。要は、蓄えのパイをどのように分配するのか、です。子どもが欲しいのか欲しく無いのか。車は必要か不要か。持ち家か賃貸か。

 

私たちの優先順位は、住居、子ども、そして、車は不要となりました。住居は持ち家か賃貸かは、その時は決めかねていたと思いますが、とりあえず、ローンを払っているつもりの“つもり貯金”を始めました。子どもは授かりものですが、2人まで。また、以前記事に書いたとおり、車は持たないことを前提に生活を考えることにしました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

方眼紙で作ったキャッシュフロー表の第1号や、その後何回か作り直した手書きの表は、引っ越しを繰り返すうちに紛失してしまいました。一緒に保管していたはずの新婚時代の家計簿もどこに行ったのか分からず仕舞です。取っておいても何の価値も無いものですが、もし、今見つかったら、妻と私は大喜びすることでしょう。(続く)