和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

妻の時給、夫の時給(2)

lambamirstan.hatenablog.com

 

共同生活の損得

結婚や同棲を始める時に、共同生活のメリット・デメリットを慎重に検討する人もいるのでしょうが、私たち夫婦の場合、結婚そのものがその時の勢いに任せたところがあり、婚前の同棲期間もありませんでしたので、共同生活のシミュレーションなど全くせずに本番に突入してしまいました。

 

その結果、毎日が試行錯誤の連続となりました。今でこそ我が家の家事分担は“出来ることを出来る方がする”ことになっていますが、結婚当初の私たちは、ちょっとしたことで衝突を繰り返していました。

 

妻は、結婚後すぐに派遣会社に登録して仕事を始めました。当時のことを妻は今でも口にしますが、私の給料だけでは覚束なかったため仕事をじっくり選んでいる場合ではなかったのだと言います。

 

夫婦共働きの生活とは言え、私の帰宅時間はほぼ毎日深夜でした。家事を平等に負担したくても平日は全て妻任せ。私は週末の家事を引き受けることで、自分としては何とかバランスを保てていると思い込んでいました。

 

そのような、家事を平等に負担するための帳尻合わせは、私にとってとても窮屈なものに感じられました。平日の家事を妻に押し付けてしまっている“借り”を週末に返すことを繰り返す生活に何の意味があるのだろう – そんな疑問を感じながら何年も過ごしてきました。もちろん、休みの日には妻と一緒に遠出を楽しむこともありましたが、それは本当の束の間の息抜きでしかなく、仕事を中心に生活が回っていました。

 

前回の記事でも触れましたが、平日の帰宅後は自分や夫婦のための時間など取れず、夫婦でゆっくり会話を楽しむ環境ではありませんでした。お互いに話したいことや相手に対する不平をすぐに伝えずに溜め込んでおくのは良くありませんが、週末の妻との時間にわざわざ空気を悪くすることも無いと、肝心な話題から逃げ続けていました。

 

今となっては、喧嘩の直接的な理由は忘れてしまいましたが、夫婦間の大喧嘩はやはり避けられませんでした。今のようにメールやメッセンジャーアプリのある時代ではありません。日中の隙間時間にお互いの気持ちをやり取りする手段が無いので、伝えたいことを伝えられず、掬い取るべき相手の気持ちを理解出来ない積み重ねが些細な事で爆発してしまいました。

 

私にとって妻は、自分が自然体でいられることを許してくれる存在でした。気を遣わなくても良い相手だからこそ一緒にいたいと考えたのですが、一緒に暮らす以上、相手の気持ちを慮らないわけには行きません。一つ屋根の下で暮らしていても、分かち合う時間を十分に取れなければ、気持ちはすれ違ったままで本当の意味での共同生活にはならないと感じました。

 

いっそのこと、誰にも気を遣わない独り暮らしの方が気楽なのでしょうが、反面、自分の心の支えが傍にいてくれる安心感は代え難いものがあります。妻も私も結婚当時は深く考えてはいませんでしたが、この歳になってから振り返ってみると、共同生活は、自分にとっての一番の理解者と様々な経験を共有するところに意味があるのだと思います。それは、損得勘定などとは次元の違う話です。

 

妻の時給、夫の時給

もし、共同生活に実利を求めようとすると、理想に適った相手と言うのはなかなか見つからないのかもしれません。家事や身の回りの世話や、あるいは、安定した収入源を相手に求めるくらいなら、家事代行業者を雇うなり、自分で収入を増やす努力をすればいいのです。

 

妻は上の娘がお腹にいる時から十年余り専業主婦でした。二度にわたる私の海外駐在は家族同行だったため、再就職出来る状況ではなかったからなのですが、その間彼女は家事や子育てに専念することで私を支え続けてくれました。私が安心して仕事が出来たのも彼女のお陰だと思っています。

 

私が仕事を離れて自宅療養していた間も、妻が一緒にいてくれたからこそ私の不安は軽くなり、家族の大切さを再認識することが出来ました。

 

最初はただ単に一緒に暮らしているだけだった私たちの共同生活は、長い年月を経て共生関係へと変わっていきました。少なくとも今の私に限って言えば、愛おしいパートナーと娘たち、そして私自身が快適に暮らすためには自分に何が出来るのかを考えることが日々の生活の中心になりました。仕事はその生活を支えるための手段ではありますが、生活の中心ではありません。

 

かつて、給料を時給換算するのは妻のお気に入りのお遊びでしたが、それが何の意味もなさないことを妻も私も知りました。妻の存在はお金で測ることは出来ません。同様に、家族に支えられて仕事をしている私の収入も自分一人で得たもので無いと考えると、その多少が私の家族の中での存在を左右するものでも無いのです。

 

妻や夫の存在はお金で量ることが出来るものではありません。どんなに高い時給を払っても私の妻の代わりは見つけられないのです。