和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老木の余命

優しい総括

私の勤め先のように減点主義の会社では、ひとたび考課表に×がつくとそれを消すことはほとんど不可能です。大胆な挑戦や画期的な改革は得てして煙たがられ、如何に失敗しないかを探ることが“成功のカギ”となります。

 

事業が失敗に終われば誰かが責任を取らされるのは、組織の中で働く者の宿命ですが、経営陣にまで登り詰めると、例え会社の損益に影響を与えるような事業の失敗でさえも、経営判断の誤りを簡単には認めず、事業環境に原因を求めようとします。

 

もっとも、偉くなるほどに保身に走るのはうちの会社に限ったことでは無い - そう思いたいところです。

 

自己保身に長けた経営陣に過去の経験から学ぼうとする姿勢が備わっているはずも無く、失敗したプロジェクトを将来のための教訓にしようと自発的に考えることなどありません。

 

それでも、以前は失敗に終わった事業を省みることなどしなかった会社でしたが、ある時を境に事業終結の際に社内で総括をすることがルール化されました。

 

“ある時期”とは、コーポレートガバナンスコンプライアンスが企業に求められ始めた時期で、私の勤め先も管理体制の強化に取り組むこととなりました。残念ながら、それは自発的な動きでは無く時代の流れによるものでした。

 

終結事業の総括は、失敗の原因を分析し、今後の教訓として活かすことが目的であることは言うまでもありません。

 

ところが、真面目に敗因を突き止めようとすると、事業推進に携わった現場責任者で現役の役員に行き当たることが往々にしてあります。現役の役員が過去の自分の判断に非があったと認めることはまずありません。

 

典型的な失敗プロジェクトは、参入時の採算見通しやリスク分析の甘さが敗因であることがほとんどなのですが、それは、本来あるべき利潤の追求に代わって事業立ち上げそのものを目的にしてしまったところに遠因があり、さらに突き詰めると、その根底には個人的な功名心や上の人間への追従があるのだと考えます。

 

総括は、決して犯人捜しではありません。ルール化する際にも、個人攻撃は固く禁じられました。従って、社内報告の際にも個人名は伏せられましたが、当時の事情を知っている人間からすれば、誰の話なのかはおおよそ見当がつきます。

 

そのためなのでしょうが、説明資料では、“誤り”や“失敗”を直接指摘するような表現は避けられ、別の選択肢を取る可能性“も”残されていた – など他人事のような分析が続きます。そして結局、経営判断にはミスが無かったと言う結論に落ち着くのでした。

 

私は一度だけ失敗プロジェクトの総括をサポートしたことがあります。そこで、当時の役員会の議事録を目にして、活発な議論など無いままに採択された事業であることを知りました。これで経営判断にミスは無かったとは恥ずかしくて言えるものではありませんが、コーポレート部門が絡んでくると、報告書は見事に骨抜きにされて誰も傷つけない優しい内容の総括になってしまうのでした。

lambamirstan.hatenablog.com

 

老木の余命

失敗した時に敗因を探り、そこで得られた教訓を次に活かすのは、敗者の特権だと思います。失敗からより多くのことを学び、自身や後進が同じ轍を踏まないようにすることが先を歩く者の務めです。それが出来ない組織は、知見の蓄積を拒み継承すべき知恵を捨て、成長することを止めて朽ち果てるのを待つ老木と同じです。

 

事業の総括が個人攻撃になってはいけないのは、特定の人間への責任の押し付けで話が終わってしまえば組織としての教訓にならないからです。

 

しかし、意思決定の最終関門である合議体には、経営判断を行なったことに対する連帯責任があるはずです。例え経営判断に誤り無しと、その当時は確信したとしても、結果が失敗に終われば責任を負うのが経営陣なのだと思うのですが、“判断に誤り無し”を貫き通せば通すほど、現場で働いている人間の気持ちは離れて行ってしまいます。

 

経営陣から社員へのメッセージは決まってポジティブなものですが、決算発表や中期計画の中身を冷静な目で見れば、そして、すでに慢性的となってしまった人材不足とその理由に思いを巡らせば、危機感と言う言葉が嫌でも頭に浮かんできます。しかし、社内に危機感が漂っているのかと言えば、そこまで逼迫した雰囲気は感じられません。

 

「部屋の中の象」は使い古しの英語のイディオムですが、私の務め先のそんな現状をよく表していると思います。悪い状況は誰の目から見ても明らかです。見えないはずはありません。しかし、それを口に出すことはタブーなのです。

 

老木の余命はあとどれほど残っているのか、もしかしたら、すでに立ち枯れしてしまったことに気づかない大樹なのかもしれません。