和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

見える恥、見えない恥 (3)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

見ていて恥ずかしい人

人前で恥ずかしい思いをしたくない - 自意識過剰な人ほど周りの評価を気にするみたいですが、会議でのプレゼンや質疑応答で多少失敗したところで、出席者はそのようなことをいちいち覚えていません。本人が恥じ入るほど周囲の人間は気にしていないものです。

 

一方、自分の評価を気にするあまり、仕事の失敗を認めたがらない者がいます。担当している事業が失敗に終われば、責任者が罰点を食らうことは当然のことです。役職が上がればその分給与や報酬が上がるのは、相応の責任を負っているからです。責任を取ることを恥と思い、言い逃れをしたり、責任転嫁を図ったりするのであれば、それこそが恥ずかしいことなのです。

 

自分の落ち度を認めて頭を下げることは、決して恥ずかしいことではありません。普通の人間であれば、潔く責めを引き受ける者に向かって石を投げつけるようなことはしません。むしろ、堂々と頭を下げることで信用を高めることができるのではないでしょうか。騒動のほとぼりが冷めるまで逃げ回る方が楽かもしれません。また、うまく責任回避できたことをほくそ笑む者がいるかもしれませんが、長い目でみれば、周囲からの信用を失う方が大きな損失になります。

 

社内の会議でも、偉い人ほど言い訳が上手なようです。以前記事に書きましたが、責任ある者が、責任逃れに長けるほど、問題は先送りにされ、会社は弱体化して行きます。経営陣の言い逃れに簡単に騙されるほど社員は愚かではありません。失敗を教訓にできない会社はやがて内部から崩壊していくことになるでしょう。

 

lambamirstan.hatenablog.com

lambamirstan.hatenablog.com

 

失敗を認めたくない、恥をかきたくない、と逃げ回ること自体、傍から見るととても恥ずかしいことです。自分の上司が言い逃れに汲々としていれば、見ているこちらが恥ずかしくなってしまいます。

 

恥ずかしいと思わないことの恥ずかしさ

見ている方が恥ずかしくなる、と言う点では、以前、病院の受付で騒ぎを起こした老人の話を書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

また、コンビニエンスストアや居酒屋などで、店員に対して非常に高圧的な態度を取る者がいます。これは今に始まったことではありません。私が学生の頃に、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた時にも、一部の客への対応で非常に不快な思いをしました。「客は店員に対してどんな物言いをしても許される」と勘違いしている人はなかなか減りません。

 

そんな経験もあり、会社勤めをするようになってからも、そして今でも、お店の店員には自然と丁寧語で接しています。もっとも、気の置けない居酒屋などでは、タメ口の方が気楽なのかもしれません。とは言え、一緒に連れだって来た同僚や上司が、“金を払っている方が偉い”と言うような振舞いをすると、居たたまれない気持ちになります。

 

店員に対して高圧的な態度を取る者は、サービスを提供する側は顧客に対して決して歯向かわないと言う思い込みがあるのだと思います。コンビニエンスストアにしても、居酒屋にしても、電車の駅にしても、大声をあげて騒ぎ立てる者は、実は相手が自分に歯向かってこないだろうと分かった上でそうしているのだと思います。

 

想像するに、普通の大人であれば、ちょっとやそっとのことで感情を爆発させるようなことはしません。しかも、衆目の中、大声で喚き散らすのは、余程のことがあったか、あるいは、日頃の鬱憤が溜まっている状態なのでしょう。いずれにしても、感情のコントロールが出来ない者は、見ているこちらが恥ずかしくなります。

 

以前は、そのような場面に出くわすと不快感を覚えるだけでしたが、最近では、頓に恥ずかしいと言う思いが湧き上がってきます。恐らく、物事を弁えるべき大人が醜態を晒すのを見て、大人の側に立つ自分が若い世代から同じように見られているのではないかと言う思いなのでしょう。

 

恥ずべき姿が見えない

過剰な自意識に振り回されて自分の面目を保つことしか考えない人間は、自分の非を素直に認めることが出来ません。下の者からの提言が如何に的を射たものであったとしても、自分の体面が立つか否かでしか物事を判断することが出来ないのです。頭を下げることは恥でも何でも無いのに、勝手に恥ずべきことだと思い込んでいるだけなのです。

 

他方、周囲の人間やサービスを提供する側に対して、不快な思いを抱かせるような振舞いをしていても、それに気がつくことが出来ない者は、自分の姿を映す鏡を持たないようなものです。

 

自分を客観的に見る目があれば、その行為が周囲の顰蹙を買っているのか、受け入れてもらえるものなのかが分かると思います。恥ずべき行ないが何なのか – それを知っていることが大人である条件の一つではないでしょうか。