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愚者の判断 (2)

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野心を持つ者(続)

的確でスピーディーな意思決定プロセスを導入したはずの我が社でしたが、欧米流の見栄えの良い枠組みだけを取り入れただけで、それを運営する人間が変わらなければ、何のメリットも享受することは出来ませんでした。

 

lambamirstan.hatenablog.com

 

検討チームの構成員は事業部門と管理部門との“バランスを考え”決められたため、メンバーの絞り込みをしませんでした。結果、構成員のスケジュール調整が困難となり、おざなりな検討しかできない「検討チーム」が出来上がりました。提案された事業を深く検討出来ないため、ほとんど起案部の言いなりで“ゲート”を通過することになります。これでは的確な意思決定のプロセスとは言えません。

 

さらにゲート毎に開催が予定されている役員会も、役員のスケジュールの調整がなかなかつかなかったため、適時開催とはならず、プロセスをスピーディーに進めることなど不可能でした。

 

結局、多額の報酬で雇ったアドバイザーの置き土産のお陰で、意思決定のスピードに問題があった我が社は、その問題を解決するどころか、かえって手足を縛られることになったのです。

 

新しい意思決定プロセスの試金石である大プロジェクトは、当社のスローな動きにより、合弁事業の潜在的パートナーの心証を損ね、交渉は先方がリードする形で進められました。結果、当初想定していたよりも当社にとって不利な条件での交渉成立となりました。事業の詳細を知る者は本案件の起案部のリーダーしかおらず、役員会で事業リスクを指摘できる経営陣は誰もいませんでした。会社の利益になる事業を立ち上げるのではなく、一社員の野心のための道具として大きな事業への参加が利用された結果となったのです。

 

しかし、「事業に参加できたこと」だけを見て、成果ありと認められたのでしょうか、本案件の関係者は社内でそれなりの評価を得て、それなりに昇進していきました。

 

保身を考える者

その後、この事業は、当初期待していた製品販売先との契約が不成立となったことから、事業規模を縮小する羽目になり、会社は大きな損失を被りました。これに即座に反応したのが労働組合でした。若手社員を中心に事業失敗の原因究明と責任の所在を明確にせよ、との声が上がったのです。

 

労働組合が動けば経営陣も黙り通すことは出来ません。事業失敗の総括のための役員会が開かれました。普通、役員会の資料は関係者以外目にすることは出来ませんが、この時の役員会の資料は社内に出回りました。

 

役員会では、投資決定は“適正な意思決定プロセスによって行なわれた”ため、その過程に問題は無かった。事業環境は予測不可能であり、失敗の結果責任を全て起案者に帰してしまうと、新規事業開発への取り組み意欲を損ねることになる・・・との結論に達しました。つまり、誰も責任は取りませんと言うことです。

 

当時、役員会の資料作りのために、事業部門と管理部門は手分けをして古い資料を漁り、事業参加の経緯を調べ尽くしました。私もほんの一部でしたが、資料作成に協力しました。

 

極めて少人数の関係者しか事業の詳細な情報を把握しておらず、中には社内承認の障害となりそうな情報を経営陣に伝えていなかったと思える形跡もありました。資料作成をした実務者としては、意思決定者に判断材料が適正に提供されていなかったこと、また、それを経営陣が放置していたことが投資判断を誤った原因だと考えました。

 

当時リーダーだった者は、すでに経営陣となっていました。経営陣の中には脛に瑕持つ者も少なくありません。もし、この件で責任を負わされる者が出てくれば、他の失敗案件への波及も考えられます。自らの保身を考える者が複数いれば – それが権限のある者であれば – 責任を有耶無耶にすることだって容易いことなのです。

 

ブレない判断基準

自分の野心や保身で目が曇ってしまうと、正しい判断が出来なくなってしまいます。仕事で成果を上げられなければ、同期に先を越されてしまう、後輩に追い抜かれてしまう、などと焦るあまり、自分の手掛けた案件を通すことで頭が一杯になってしまうと、結果として会社の利益を損ねることになるのは自明です。

 

ところが、大きな組織では、この自明なことが通らない時が往々にしてあるのです。私は今50代に差し掛かり、定年まであとわずかとなりましたが、これまでの間、煮え湯を飲まされたり、はしごを外されたりと、痛い思いを何度となく経験してきました。逆に、会社に損害を与えたにも拘わらず見事に逃げ切った役員も知っています。しかし、私はうまく逃げ切った者を非難することはしません。自分に害が及ばない限り、自分の人生とは何の関係も無い存在なのですから。

 

それよりも、若い人たちに知ってもらいたいことは、会社は自分が働いている間だけの存在では無いと言うことです。自分の後輩たちやこれから入社する未来の社員が、そこで生活の糧を得ると言うことを理解していれば、会社を踏み台にして自分の野心を叶えようとしたり、自分の保身のために失敗の原因にふたをしようなど出来ないはずです。そう考えれば、自分自身の中の判断基準と言うものが自ずと分かってくるのではないでしょうか。