和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

地位と名誉の値打ち (3)

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当たり前だった昇格の終わり

組織の指揮命令系統は、意思決定を円滑に行うための枠組みであり、それぞれの役職に与えられた権限には責任が伴います。

 

役職が上がると給料も上がるのは、役職に応じた責任が重くなるためであり、個々人の能力や過去の実績の対価ではありません。あくまでその役職に対する手当です。

 

会社の中での役職の上下や給料の多寡は、それ自体は個人の能力評価とは別の、組織運営の仕組みでしかありません。若い社員は意外にその辺りを良く理解しているのですが、中高年の世代では依然として昇進や昇給に一喜一憂する社員が多く存在します。

 

私の勤め先に限って言えば、昇格の判定が、従来型の年功序列制からアセスメント制へ移行する際に、社員に対して制度変更の趣旨を丁寧に説明していなかったこと、そして、判定基準が曖昧なことから社員の間に不公平感が広がっているのだと考えます。

 

昇格アセスメント制は、かれこれ10年近く前に導入されました。それまでの年功序列制では、ある年齢に達すれば、管理職に昇格し、その後も、年齢とともに役職も上がる仕組みでした。アセスメント制では、コンサルティング会社が実施する筆記試験や小論文、そしてグループディスカッションを通じて、資質を審査され、最後は役員面接で昇格の可否が決まります。

 

社外コンサルタントの起用により公平な評価が期待されること、また第三者による評価であれば、どこからも文句は出ないであろうことから、当初、この制度の導入は社内のあらゆる層から好意的に受け止められていました。

 

ところが、導入初年度、コンサルティング会社が実施した試験の結果は惨憺たるものでした。新任管理職から部長職まで、全ての階層の候補で合格者はゼロ。結局この年は、候補者全員が役員面接を受け、その結果で昇格を決めたのだそうです。翌年以降の昇格試験はかなり“甘い”採点になったことから、会社とコンサルティング会社との間で何等かのすり合わせがあったのは想像に難くありません。一方で、役員面接で落とされる者も出てきたようなので、昇格するための“ふるい”が中立公正なものでは無いと言う疑念は燻ぶったままです。

 

私は2回目の昇格アセスメントで部長に昇格しましたが、1回目に役員面接で落とされた時に、何故落とされたのか納得のいく説明はありませんでした。面接を行なった役員間での“調整”の結果なのだとすれば、本人の業務実績やコンサルティング会社が行なう試験は昇格の判断にはあまり影響を与えないのだと理解しました。

 

役職は預かりもの

組織運営の仕組みと身分制度は全く別物なのですが、その違いを理解しようとせずに会社人生を送り続ける者は、私が思っている以上に多いようです。

 

私もかつて、役職定年を迎えたある先輩社員から、私の下で働くことを拒否されました。私とその先輩とは別々のグループに属している時に、何度か衝突したことがありました。私は仕事上のぶつかり合いを根に持つことはありませんが、あちらはそうでは無さそうでした。また、役員へ登用されることも期待していたと言う噂もあり、自分の出世の芽が摘まれたことも相まって、私と一緒に仕事をすることを受け入れられなかったのかと思いました。

 

もっとも、人の好き嫌いを理由に人事異動の内示を断ることなど出来ず、その先輩は、自由選択定年制を使って会社を去って行きました。私はそこまで自分が嫌われていたのかと、かなりショックを受けたものです。

 

組織の中の役職と身分制度上の地位を混同してしまうと、それぞれの役職が持つ責任を全うすることは二の次となり、ヒエラルキーの上を目指すことが目的になってしまいます。経営陣や管理職層が、ステイタスを上げることだけしか眼中に無い人間で占められるようなことになれば、会社のビジョンやミッションなどどうでもよくなり、組織改革や人材育成など、会社をより良くするための推進力が生まれるはずもありません。

 

役職は、一時的に任されているポジションで、いずれは誰かにバトンを引き渡すもの。個人に与えられる称号や地位、あるいは名誉職とは違うのです。預かっているバトンを汚さないよう、あるいは、もっと良いものにして後継者に託すのが与えられた役割だと言えるのではないでしょうか。

 

役職に就くことは、地位が上がったと喜ぶようなことではありません。ましてや、役職の衣を纏うことで偉くなったと勘違いしてはいけません。いずれ、時が来れば、誰もが肩書のない普通の人に戻るのですから。