和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

地位と名誉の値打ち (2)

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権限と権力の違い

過去の記事でも何度か触れましたが、今の若手社員や中堅社員の中には、管理職になることを望まない者が増えてきています。そこそこの給料をもらえれば良く、余計な責任は負わされたくないと言う考えが、彼らの世代に広がっているように感じています。

 

また、現行の人事評価制度に懐疑的で、能力が公平に評価されない、上司に媚を売らなければ良い評価を得られない、などの理由から、出世のために自分を売ることまでしたくはないと考える社員も増えてきているようです。

 

他方、上昇志向の高い社員も少なくありませんが、彼ら・彼女らは、同期入社との出世のスピードや社内の評価が気になるようで、仕事も自分中心に回そうとして周囲との軋轢を生むケースが散見されます。

 

ただ、昔は上昇志向あるいは野心を抱いている若手社員の方が多かったのだと思います。それに対して上に立つ者の中には、部下に言うことを聞かせるために昇格昇進を、時には餌に、時には脅しに使う者もいました。

 

私も入社以来、いろいろな上司の下で仕事をしてきました。仕事の進め方を巡って衝突した上司もいました。“衝突”と言っても、掴み合いや口角泡を飛ばしての言い合いでは無く、こちらは自分の考えを極めて冷静に伝えているに過ぎないのですが、噛み合わない議論の終わりには、人事考課で✖をつけることを暗に匂わせ脅しをかける上司もおり、辟易した記憶があります。

 

人事評価の制度上、対象となる社員の成果や能力を評価は、日頃近くで仕事ぶりをつぶさに見ている上司が行なう以外ありませんが、そこには社内で共有できる評価のためのものさしが無ければならず、それぞれの上司が恣意的に部下を評価することなど許されるはずがありません。ましてや、人事考課を意趣返しの手段に使われるようなことがあれば、評価される側は堪ったものではありません。

 

部下を評価することは職制上の権限であって、自分の立場を誇示したり部下を服従させたりするための道具では無いのですが、今も昔も、自分を権力者と勘違いしてしまう上司が存在します。

 

しばらく前のこと、新任管理職の研修の講師を任された時に、研修後の懇親会が開かれました。そこで、ある社員が、管理職になって飛行機はビジネスクラス接待費も使えるようになって嬉しい、と言うようなことを満面の笑みを浮かべて話していました。

 

私は、今時まだそんな考え方が残っているのかと失望とショックを覚えました。部下は上の人間から仕事を学びます。管理職に付帯する権限を特権と勘違いするのも上の人間の影響なのでしょう。

 

当時、会社の業績を分かっている部署は、幹部社員といえども出張の回数を減らしたり、部長以下全員エコノミークラスを利用するなど経費節減に努めていました。「往復の機内でも仕事ができるように」と、ビジネスクラスの利用を正当化する社員がいますが、1日現地入りを早めてでも宿泊先のホテルで仕事をした方が断然効率的で経済的です。

 

航空券やホテルの部屋のグレードを、役職に漏れなくついてくる特典だと勘違いしてしまうと、その役職にしがみついたり、もっと上の“特典”を目指そうとしたりして、自分中心に仕事を回すことしか考えなくなってしまいます。

 

実績や能力が認められて昇進することは喜ばしいことに違いありません。しかし、それは、ついて来てくれる後輩たちに歓迎されるものでなければ意味がありません。むしろ、昇進すれば、権限と一緒に責任も重くなるわけで、それを考えれば浮かれてなどいられるわけがないのです。

 

盲目的服従と理性的判断

徹夜の読書やゲーム、友人や恋人と夜通しの語らい。睡眠不足は苦では無く、むしろ心地良い疲労が快感になる - そんな経験をした方も多いのではないでしょうか。同じ睡眠不足でも、嫌々ながらの仕事でのそれとは受ける感覚が全く異なります。

 

また、同じ仕事でも、自分で発掘し粉骨砕身する仕事と、上から押しつけられ、疑問を感じながら“やらされている”仕事とは、やり終えた後に得られる気分が正反対のものになります。

 

思い返すと、私が精神的に参ってしまって会社を休んだ時は、長時間の残業が続いたこともさることながら、自分が納得しないまま仕事を続けたことによるダメージが大きかったようです。

 

もし、私が上司の言うことや会社の方針に盲目的に従っていれば、あれほど悩むことも無かったのかもしれません。また、仕事がもっと楽なものになっていた可能性もあります。そう言う意味では、ある上司の「つべこべ言わずに手を動かせ」と言う決まり文句は、従順な部下のあるべき姿だったのでしょう。

 

しかし、私は、自分の理性の判断を捨てることが出来ませんでした。そのために、ある時は長期戦線離脱し、ある時は干されて閑職に回されました。そして、「何のために働いているのか」と言う素朴な疑問に対する答えを見つけられないまま、ずるずると会社人生を歩み続けてきたのです。(続く)