和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

責任の取り方、取らされ方

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中身の無いパフォーマンス

私の勤め先で、一介の社員でも社長に直接メールを送ることが出来るようになったのは、前社長の代になってからでした。それまでは、現場の社員が社長に直接物申す手段など無かったので、これによって、現場からの意見が直接社長に伝わる“風通しの良い”会社になるのではと期待していました。

 

しかし、風通しが良くなったように見えても、社員からの意見を受け取る側が物分かりの良い相手でなければ何も変わりません。現社長が就任した時、社長交代で少しは状況が良くなるのかと思いきや、良くなるどころか悪い方に進んでいる気がしてなりません。

 

社長としては、自分は進歩的な経営者だと自負しているのかもしれません。少なくとも、社員の目にはそう映ってほしいと思っているのでしょう。しかし、- 私の目が濁ってしまったからだと思いたいのですが – いかにも若い世代に受けの良さそうなことを打ち出す様は、経営者と言うよりもパフォーマーのような感じを受けます。

 

社長が就任直後に、大会議室に本社の社員を集めて挨拶をした時の話です。第一声は、経営基盤立て直しの決意では無く、役職で呼ぶことの廃止、ネクタイ着用不要に関することでした。管理職や役員に関わらず、皆、“さん付け”で呼ぶように。来客対応等必要な場合を除き、原則ネクタイ不要。社長就任時にわざわざ社員を集めて言うことではありません。

 

社員としては、長引く経営不振をどのように打開していくのか、就任直後で具体案は無いにしても、将来展望を聞きたいのであって、呼び名やネクタイの話などどうでも良いことです。

 

経営不振のみならず、人材流出や新規事業発掘の遅れなど、問題山積の中で社内に漂っている不安感を払拭するには、最高経営責任者の力強い言葉が必要だったのです。社長としての手腕とは無関係の、空虚なパフォーマンスを誰が望んでいたのでしょうか。

 

聞き置かれる現場の声

今の社長になってからは、定期的に社員からの意見や質問に対する社長のコメントを全社一斉に配信するようになりましたが、胸を打たれるような言葉があるわけでも無く、かえって心が離れてしまう内容ばかりです。

 

役所から天下りで据えられた社長は、商才を見込まれて迎えられたわけではありません。現場感覚に乏しく、発する言葉は今の働き手の心に響きません。一見、社員からの意見に耳を傾ける素振りを見せながら、最後には持論を展開して、自分の考えの正当性を主張するのがお決まりのパターン。社員からの意見や質問に対する的外れな答えを繰り返していては、やがて誰からも真摯な意見や質問が上がって来なくなってしまうのではないかと心配になります。

 

社員の側からすれば、取り巻きの茶坊主に邪魔されずに、社長に直でつながる機会があるにも拘わらず、肝心の社長が茶坊主と同じ発想しか持ち得ないのであれば、“目安箱”など何の意味も成しません。

 

ある社員からこういう意見が社長に届きました。「我が社は、誰も失敗の責任を取らない」。それに対する社長の答え。「新しい事業にはリスクが付き物。事業の失敗を責任者に負わせてしまっては、誰も新しいことに挑戦しなくなってしまう。社内プロセスを経て投資決定したものは会社として責任を取り、失敗した場合にはそれを次の教訓に活かせば良い」。一見もっともなことを述べています。

 

しかしながら、社長はこの社員の質問を理解出来ていませんでした。「誰も責任を取らない」とは、“経営陣の”誰も責任を取らないと言う意味です。

 

過去にとん挫したプロジェクトに関して言えば、実務レベルでは誰かが責任を取らされてきました。片道切符で子会社に出向させられた者。全くの畑違いの部署に異動させられた者。失意の中、退職を余儀なくされた者。現場では、誰かがしっかりと責任を取らされました。他方、どんなに大失敗した事業でも、経営陣の中で責任を取って降格や減俸を受けた役員は、私の知る限り出てきていません。

 

上に行けば行くほど、責任を取るリスクから遠ざかっていくことを、現場で働いている社員は良く分かっているのです。「誰も責任を取らない」。それは、経営陣の長に対しての辛辣な意見であり、逃げ切り組の社員の“上がり”のポストが役員になってしまっていることに対して、社長の考えを問うものでした。勇気ある意見を投じた社員のみならず、的外れな答えに失望した社員は少なくないはずです。

 

“失敗を恐れずにチャレンジしろ”の後には、本来、“何かあったら俺がお前のケツを拭いてやる”と言う頼もしい言葉があって然るべき。全ての責任は最終判断を下した経営陣に帰するものです。「会社として責任を取る」とは、自分たち経営陣は責任を負わないと宣言しているに等しいのです。もし、現場には責任を取らされている人間がいることを承知で、社長がこう答えたのだとすれば、この会社に明るい未来はありません。自己批判を避け、自画自賛に終始するトップを望む社員はひとりもいないのですから。