和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

結婚の目的と打算

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親世代の生活水準

二十数年前に私が結婚した頃は、社内結婚が多く、また、女性は結婚すれば“寿退社”するものと決まっていました。以前の記事に書きましたが、妻は結婚しても仕事を続けるつもりで、当時の上司にも掛け合ったのですが、私が本社に異動となり、渋々退職することとなりました。

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今では、結婚しても仕事を続ける女性が多く、会社もむしろそれを望んでいます。妻は今でもたまに、結婚するのがあと5年先だったら会社を辞めずに済んだと言います。

 

社員の目線に立てば、働き方の柔軟性はここ数十年で格段に高まりました。産休・育休、時短勤務、介護休業 - 子育て世代や家族の介護が必要な社員にとっては、プライベートと仕事とを両立しやすい制度が拡充され、職場もワークライフバランスを念頭に置いた働き方を推奨するようになってきています。

 

性別に関わり無く、ライフスタイルに応じて働き方を選べ、仕事を続けられる環境が整っていれば、収入の見込みを立てやすくなります。また、生きがいや社会とのつながりを職場に求める人にとっては大きなメリットになります。

 

妻は、結婚後すぐに派遣登録して働き始めましたが、それは、生活費を稼ぐこと以上に、仕事をしてキャリアを積みたいと言う意欲があったからです。残念ながら、出産、子育て、そして私の駐在先への家族帯同によって、妻はキャリアアップを断念してしまいましたが、帰国後に仕事を見つけて働き始めたのは、家の外で自分のライフワークを見つけたいと言う意欲が残っていたからです。

 

現在、闘病中の妻ですが、彼女は、治療が終わって状況が許せば職場復帰したいと言う望みを持ち続けています。体調の問題もあり、それが実現可能かは分かりませんが、それが彼女の生きる原動力になるのなら、私なりに精一杯サポートしたいと思います。

 

妻のように家庭以外の場で生きがいを見出そうとする女性は今では珍しくないのでしょうが、他方、私たちより上の世代では、女性は結婚して専業主婦になるケースの方が多かったようです。

 

結婚当初の頃を思い返すと、社宅では、数十世帯ほどの中で夫婦共働きは私たちを含めて数えるほどしかいませんでした。周りは年上ばかりで、奥さんは専業主婦がほとんどだったため、妻は社宅の雰囲気に馴染めませんでした。

 

それはともかく、当時、専業主婦の世帯が多かったと言うことは、今と労働環境の違いがあるので一概に断定出来ませんが、バブルの余韻がまだ残っていた時代、シングルインカムでも生活に支障が無かったとも言えます。

 

そして、そのような世帯像は、私と同年代あるいは一つ下の世代までの両親の暮らしぶりに近いのではないかと思います。

 

そう考えると、夫婦共働きが主流になったのは、親世代の暮らしぶりと似たような生活レベルを維持するためと言うのも一因なのでしょう。

 

豊かな生活の犠牲

恵まれた環境で育った人ほど、両親の暮らしぶりが生活スタイルの手本になり、結婚後の目標となるのではないでしょうか。

 

自分が親にしてもらったように子どもの教育費にお金をかけ、親がそうしたようにローンを組んで家や車を買い、毎年の家族での海外旅行を楽しみに過ごす - そんな生活スタイルを思い浮かべて仕事に励んでいた人もたくさんいたはずです。

 

ところが、バブル崩壊後、軟調な給与水準が続いたため、“手本”どおりの生活を送ろうとすれば、家計が逼迫してしまいます。豊かな暮らしを実現するためにゆとりある生活が送れないなんて、悪い冗談でしかありません。

 

私の場合は、両親の暮らしぶりを反面教師として自分を律するために役立ちましたが、もし、私がお金に不自由しないまま就職したなら、収入に不釣り合いの、身の丈以上の生活を目指して、台所が火の車になっていたかもしれません。

 

かつて、夫婦共働きのダブルインカムは、ゆとりある生活の代名詞でしたが、今は、親世代の“普通の生活”を真似るための必要条件になってしまいました。

 

そして、そのような、“豊かな生活=お金のかかる生活”を送っている一世代上を見る若い人々は、結婚に夢を見出せなくなっているのではないかと考えます。住まいや子育て、レジャーに老後資金の問題。豊かさを演出するために汲々とするよりも、自分のペースで自分らしく生きる“気楽さ”を求めるのも不思議ではありません。

 

独り暮らしが充実していればいるほど、結婚することで予想される“獲得”と“喪失”を天秤にかけて、結婚が割に合わない行為だと考えるのではないでしょうか。費用対効果だけで考えれば、結婚は選択肢になりません。

 

結婚と打算

反対に、結婚の目的が生活の一層の充実化にある人は、求める相手が物理的な豊かさや精神的な安定を提供してくれることを期待します。そして、自分が相手に提供できるものに関しては無頓着な場合が往々にしてあります。

 

詰まるところ、私利の追求の果ての結婚や、結婚自体を目的化してしまうと、“好きな相手とずっと一緒にいたい”とか“愛する人と家族になりたい”といった純粋な気持ちを見失うことになります。

 

自分の掲げた条件にピッタリなのに、どこかしっくりこない。相手との価値観や考え方の微妙な溝に気づいても、周囲が勧めてくれるからと結婚して、結局後悔している人を私は知っています。

 

男を見る目には自信があると豪語していた私の後輩は、三か月足らずの交際でゴールインしたものの、二年も持たずに結婚生活を終えました。人生の重大な決断を誤った理由が、本人曰く、“こんな良い条件の相手は二度と現れない”と焦ってしまったからと言うのは、恋愛経験豊富と自慢していた彼女にしてはお粗末な話です。

 

結婚生活は、恋愛関係以上に相手を思いやる気持ちが無ければ続かないと思います。今後、共働きが当然になれば、結婚生活に関わるあらゆる負担は公平に受け持たなければならず、相手に期待するよりも、相手のために自分は何が出来るのかを考えられなければ、共同生活はいずれ破綻します。

 

結婚は決して人生の墓場ではありませんが、パラダイスでもありません。自分の欲の実現や老後の安全装置では無く、純粋に好きな相手と一緒にいたい気持ちの延長線上に結婚と言う選択肢があるのだと考えます。