和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

夫婦喧嘩と味噌汁の味

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性格の不一致とは?

「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言うとおり、先人も他所の夫婦の諍い事に口を出すことの馬鹿馬鹿しさを分かっていたのでしょう。私はかつて、知り合いの夫婦が揉めていた際に仲裁役を買って出たことがありましたが、そんな余計なお世話など焼くべきではなかったと後悔しました。夫婦の間の心の機微は他人からは窺い知れないものなのです。

 

統計資料などで離婚原因のトップになるのは「性格の不一致」のようですが、結婚生活を続けられないほどの“性格の不一致”とはどのような状態なのでしょうか。

 

「性格」と聞いて、私が頭に浮かべた言葉は、「内向的・外交的」、「短気・暢気」、「悲観的・楽観的」などです。正反対の性格の持ち主同士は共同生活を維持できないのかと言うと、そうとは言い切れません。

 

周りを見渡しても、似たもの夫婦がいる一方で、全く性格が異なる夫婦も少なからず存在するわけで、必ずしも性格の不一致が結婚生活に危機をもたらすものとは限らない気がします。

 

もしかしたら、周囲にあれこれ説明するのも煩わしい夫婦間の“溝”を、「性格の不一致」と言う言葉に押し込んでいる人々もいるのではないかとも思います。

 

良い喧嘩、悪い喧嘩

私の古い知り合いのご夫婦は、人目を憚らず喧嘩をします。一緒に食事をしている時でさえ、見ているこちらが冷や冷やするほどの“バトル”を繰り広げるのですが、毎回、喧嘩が終わってしまえば後腐れの無い様子。結局、性格や考え方が違うことをお互い承知の上で、敢えて衝突して適度なガス抜きが出来ているようです。それが、あのご夫婦にとっての長続きの秘訣なのでしょう。もしかしたら、毎度繰り広げられるバトルは、ご夫婦ならではのコミュニケーションなのかもしれません。

 

私たち夫婦も、最近でこそ喧嘩はほとんどしなくなりましたが、結婚当初は些細なことで喧嘩を繰り返していました。ただし、日を跨ぐ喧嘩はしないと言うルールを決めていたので、翌朝は何事も無かった振りをして1日をスタートさせたものでした。ただ、これも考えもので、“夫婦のルール”で喧嘩を強制終了させられるわけですから、翌朝、“何も無かったこと”にしても、お互いの腹の底に蟠りを残したままになります。

 

まだ娘が生まれる前のことですが、夫婦史上最大の喧嘩をしたことがありました。今となっては思い出せないくらいのくだらないことが原因だったのですが、妻からは一旦は解決したはずの昔の喧嘩まで蒸し返され、平日にも拘わらず夜通し口論を続けました。

 

その時私が悟ったのは、夫婦に限らず、長く付き合っていこうとする相手との間では、喧嘩を勝ち負けで決着させてはならないと言うことでした。どれだけこちらが理詰めで相手を論破してねじ伏せようと、それが必ずしも解決になるとは限らないからです。負かされた相手に「話しても無駄だ」と思われてしまったら、心は離れていく一方です。口では負けたくない、相手を言い負かしてやる。そのようなことばかりを考えて、私たち夫婦はずっと、問題解決のためや事態を好転させるための喧嘩をしてこなかったのでした。

 

大喧嘩の際に妻から言われた言葉で忘れられないのは、「もっと自分の話を聞いてほしい」、「全てを否定しないでほしい」と言うものでした。思うに私は、夫婦の間での主導権を手放したくないばかりに、自分の主張の正当性を相手に押し付けることしか考えていなかったのでした。

 

しかし、夫婦間の口論でいくら連勝を重ねても、それで夫婦生活を円満に送れることにはなりません。むしろ、敗者の胸に、自分を受け入れてもらえない虚しさや、諦めの感情を植え付けるだけになることに気づきました。

 

味噌汁の味を決めるには

翌朝まで続いた大喧嘩は、最後には料理の味付けや味噌汁の具に関する不満にまで及び、お互いにへとへとになって終わりました。

 

性格も育ってきた境遇も異なる者同士が一緒に暮らし始めれば、自ずと“合う・合わない”の問題が生じてきます。それが当然なのです。全く違う人間が、全く新しい価値観を作り上げていくのが夫婦生活の楽しみであり難しさなのだと思います。試行錯誤しながら“我が家の味噌汁の味”を決めるには、まず相手を知ることと、自分を知ってもらうことから始めなければなりません。

 

あの大喧嘩で夫婦円満の秘訣を手に入れた、などと都合良く事は運びませんでした。その後もときたま夫婦喧嘩は勃発しました。しかし、お互いに聞く耳を持つようになれたことと、二人で納得して物事を進めるように工夫していくようになったのは確かです。