和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

バケットリスト

北米に駐在中、出向先で懇意にしてもらっていたコンサルタントがいました。多才な人で、会社のパーティーでは、毎回彼の出し物が“お約束”になっているほどでした。

彼は郊外にセカンドハウスを所有していて、家族ともども何度かお邪魔したことがありましたが、そこはまさに趣味のための家でした。湖畔に佇むその家は、毎週末奥さんとの時間と自分の趣味を楽しむための隠れ家でした。

トランペット奏者、ジャグラー、マジシャン、画家、メカニック ― 彼の休日は、平日よりも忙しいのではないかと思えるほどでした。その趣味の多さに私は圧倒されつつも、自分も仕事とは別の、自分のやりたいことに没頭できる環境が欲しいと思うようになりました。

彼の奥さんは彼を金食い虫と言い、夫の趣味に付き合うためにアーリー・リタイアメントは諦めたと言っていましたが、その表情からは夫婦水入らずの時間を楽しんでいる様子が窺えました。

そんな彼でしたが、私の帰国が決まった頃に仕事を辞めました。フルリタイアメントです。奥さんが病に倒れ介護が必要となったためでした。

彼と顔を合せた最後の日に彼は言いました。「これからは妻のためにできる限りのことをしてやりたい。自分の趣味にはあまり時間を割けなくなるが、いままで存分に楽しんだから満足している」。そして、私に「“バケットリスト”はリタイアするまで取っておく必要はない。やりたいことがあったらすぐに取り掛かること。それが私からのアドバイスだ」と付け加えました。

思い立ったことを先送りせずに実行するようになったのは、彼の言葉が頭のどこかに引っかかっていたからなのですが、私の中ではまだどこか生煮えとでもいった状態でした。

明らかに自分時間と他人時間の比率は変わってきているのですが、心の底から自分時間を楽しみ切れていないのが生煮えの原因なのでしょう。

最近、時折不意に“降りてくる”考えを頭の中で反芻していた時に、何となく彼のことを思い出していました。