和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

変化への対応 その攻防 (2)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

信念無き古いしきたり

ワーカホリックと言う言葉はすでに死語になったのでしょうが、根性論が好きな一部の人間は、如何に自分がプライベートの時間を割いて仕事に邁進したのかを自慢し、最後には若い世代のひ弱さを嘆きます。

 

入社したばかりで右も左も分からない新入社員は、自分の上司や先輩の仕事振りを手本にするため、上の世代が夜遅くまで残って仕事をしていれば、それが普通のことのように錯覚してしまいがちです。

 

今ほど時間外労働が問題になっていなかった時代は、労働組合との協定は軽視され、仕事は徹夜をしてでも片づけるのが社員の務めと思い込まされてきました。

 

30年前、私が新入社員だった頃、ようやく各社員にパソコンが行き渡りました。これで仕事の効率化が進み、残業時間が減ると思いきや、効率化で浮いた時間を埋めるかのように仕事もまた増えました。

 

私の勤め先で、ことさら残業時間を減らすような動きが見え始めたのは、それからだいぶ後の話でしたが、一般の社員の残業が減った分、幹部社員にそのしわ寄せが来ただけで、仕事の“総量”が減ったわけではありませんでした。

 

仕事全体の棚卸しと無駄な仕事の排除は、コロナ禍をきっかけとした在宅勤務が始まるまで待たなければなりませんでした。もし、在宅勤務の制度が無ければ、長時間の無駄な会議や紙ベースでの回付を決して崩さなかった稟議書の見直しも起こらなかったと思います。

 

結局は、経営陣は下の人間の生の声に傾ける耳を持たない一方で、外圧や環境の大きな変化があれば、あっさりと旧態依然の仕組みを明け渡すのだと言うことが分かりました。

 

古いしきたりを守る信念など無く、そこにあるのは不変への盲目的な執着なのです。

 

人集めの看板

育児休業、介護休業、時短勤務 – 意外にも(?)、私が入社した頃には会社にそれらの制度がすでに存在していました。

 

ところが、長い間、育休や介護休業を取った男性社員は現れませんでした。仕事に穴を空けると査定に響くと言われていたからです。それは、育休経験のある女性社員から広まり、半ば公然のこととして社内に流布しました。

 

もちろん、人事部はそれを否定しました。働きやすい職場を提供するための制度は、優秀な人材を集めるための、会社の“売り”です。制度があっても使えないのでは、それは制度ではありません。

 

結論から言えば、休業を取ることで査定を下げられることはありません。しかし、相対評価の人事考課にあって、一年を通じてフル稼働した社員と休業を取って半年しか働かなかった社員を比べて、長く働いた方に“良い点”をつける馬鹿な上司がいます。

 

会社が休業を認めた以上、半年しか働けなかった社員は、その半年間の成果を見てあげなければならないにも拘わらず、“半年しか働けなかった”ことを理由に査定を下げられたのでは、堪ったものではありません。

 

もう三年前の話になりますが、私の部に奥さんが臨月を迎えている社員がおり、育児休業を取りたいけれども躊躇していると言う話を耳にしました。当時、私の知る限りでは社内で育休を取得した男性社員は一人しかいませんでした。

 

私は、育休を理由に評価を落とすことはしないからと約束した上で、彼に奥さんを支えるように提案しました。休みを取ることは強要することは出来ません。最後は本人の判断に任せるしかないのです。

 

彼は奥さんの産休明けに合わせて休業することを選びました。彼にとっても、そして、私にとっても幸いだったのは、周囲の部員が皆、彼が安心して休めるような雰囲気を作ってくれたことでした。休みやすい環境が無ければ、せっかくの休業制度も宝の持ち腐れです。そういう意味で、私は当時の部員の面々に感謝しています。

 

休業制度があっても、それを行使しやすい職場でなければ意味を成さず、単にブラック企業と言われないための、あるいは、人集めのための看板を掲げているに過ぎないのです。

 

家族のために 仕事のために

昨年の秋頃のことでした。妻の闘病を支えるために役職を下りることと介護休業を取ることを当時の上司だった担当役員に申し出ました。上司は同情する素振りを見せたものの、「休んで何するの?」、「家事なんて出来るの?」と呆れた質問を私に投げかけました。

 

結婚以来、家事は夫婦で行なってきたこと、妻に治療に専念できる環境を与えたいことを上司に話すと、ようやく納得したのか、「僕は洗濯機の回し方も分からないよ」と自虐的ながらも、こちらを見下したような笑みを浮かべていました。

 

その役員は、仕事一筋でお金を稼いでさえいれば、家事は免除されるとでも思っているのでしょう。「家事は苦手」と言う人をたまに見かけますが、家事は、得意か苦手では無く、やるかやらないかだけの問題です。

 

雇用の機会や職場での活躍のチャンスが、性差無く与えらえるようになったと言うのは表向きで、依然として“男社会”であることを維持する会社は少なくありません。私の勤め先もその例外ではありません。

 

同様に、家事における男女平等も、言葉だけが先行しているのは、古いしきたりがまだ払拭し切れていないためなのだと考えます。(続く)