和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

趣味の世界

暇つぶし

趣味と言うのは、それに興味の無い他人から見ればお金と時間の無駄使いにしか見えないものなのかもしれません。

 

読書は若い時からの趣味だったのですが、ここ数年、読書量は激減していました。書店に立ち寄る頻度は以前から変わりませんでしたが、買い込んできた本はそのまま“未読スペース”に積読状態で放置され、気がつくと結構な嵩になっていました。読書時間が全く無かったわけではありません。これまで通勤時間も読書に充てていたのですが、仕事で気がかりなことが続いていたために精神的なゆとりがありませんでした。

 

それが、この2年ほどは在宅勤務となり職責も軽くなったことから、頭の中の趣味の領域を確保出来る状態になりました。

 

漸く落ち着いて読書に没頭できる状態になりましたが、私は依然と違い、多読派から熟読派に変わりました。今までは少ない時間の隙間を縫うようにして本を読んでいましたが、今はページを捲るスピードはかなり遅くなったと思います。その分、本の世界にどっぷりと浸ることを楽しんでいます。

 

心の余裕が出来たことから、今私は数十年ぶりにギターを勉強し直し、音楽理論を一から学び始めています。妻は、いつになったら上手に弾けるようなるのか私に尋ねます。私としては、上手くなるまでの過程が楽しいのであって、すんなりとゴールにたどり着いてしまったら面白くないと思っているのですが、妻にはピンと来ないようです。傍から見たら、何の役にも立たない暇つぶしなのでしょうが、これぞ趣味の世界です。

 

 

葉巻とスクラップ

以前、海外駐在していた頃に、住んでいた家のオーナーに何度か食事に招かれました。夕食の後、妻や娘たちはオーナーの奥さんとデザートを楽しみ、オーナーと私はバックヤードのベンチに腰掛けて、葉巻を燻らせながらウィスキーやラムを片手に雑談に興じる、そんなひと時を過ごしたものでした。

 

ある時、彼から「コレクションを見せてやる」と案内されたガレージには、古い電化製品が所狭しと並んでいました。並んでいたと言うよりも積んであったと言うべきでしょう。素人目にはコレクションなのかスクラップの山なのか区別がつかない品々は、オーナー曰く製造中止となった貴重品なのだそうですが、奥さんは自分の夫のことを「彼はコレクターでは無くhoarderよ」と呆れていました。

 

その時、私は言葉の意味が分からなかったのですが、後で確認すると、手あたり次第にかき集めて溜め込んでしまう人のことのようで、見事にあのガレージの様子を言い表していました。日本の普通の家であんなに物を溜め込んでしまったら、途端にゴミ屋敷になってしまい家族から愛想を尽かされることでしょう。

 

私には葉巻の良し悪しも、製造中止となった品々の価値も分かりませんでしたが、それにお金や時間を費やすことが許される環境にあって、本人にとって至福の時を送れるのであれば、それはそれで素敵な趣味なのだと思います。

 

趣味とごみ

随分と昔の話ですが、私がまだ若手社員だった頃、同じ社宅に住んでいる先輩社員にはしご酒を突き合わされ、飲み直すと言って自宅に連れ込まれたことがありました。社宅の部屋はどこも同じ2Kの間取りです。部屋に上がると、先輩の奥さんは挨拶だけして奥の部屋に籠ってしまいました。

 

私としては、自分の意思ではないものの、夜遅くに他人様の家に上がり込んで明らかに歓迎されていない雰囲気が居た堪れませんでした。すぐにでも退散したかったのですが、先輩は意に介さない様子でした。

 

適当に頃合いを見計らって暇を乞おうと思っていた私でしたが、ふと壁にかかっていた甲虫の標本が目に留まりました。その方面には明るくはありませんでしたが、熱帯地方に生息してそうな厳ついフォルムの昆虫だったのを覚えています。

 

今思えば、馬鹿な一言だったのですが、私が何の気なしにその標本のことを尋ねると、先輩は私が興味を持ったと勘違いしたようで、隣りの部屋に案内されました。

 

そこには、文字どおり壁一面に昆虫の標本が掲げられ、床にも標本ケースが積み重なっていました。狭い社宅の一部屋が趣味のコレクションで埋め尽くしてしまって、ご家族 - 奥さんとお子さん二人と聞いていました – は残りの一部屋に押し込められているのだろうか。ふとそんなことを考えたら私の酔いは一気に醒めてしまいました。

 

その後、先輩は地方の事業所に単身赴任となったのですが、異動して半年も経たないうちに不慮の事故で亡くなりました。

 

社宅の敷地内の片隅には、転出の際に出る粗大ごみ置き場があるのですが、先輩のご遺族が退去した後、そこに大量の標本ケースが山積みになっていたのを私は今でも覚えています。

 

先輩がこれだけの昆虫の標本を集めるのにどれほどの時間とお金を費やしたのかは知り様がありませんが、ご家族にとっては手狭な社宅を一層窮屈にしてきた邪魔物にしか過ぎなかったのだろうと思いました。

 

読書にせよギターにせよ、私にとって没頭出来る時間は至福の時ですが、そこには家族に迷惑をかけないと言う一定の制限があります。家族と過ごす時間を犠牲にしたり、生活に支障を来たしたりするようでは、健全な趣味とは言えなくなってしまいます。その点は重々承知の上で、私は役に立たない暇つぶしを楽しんでいます。