和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

普通の生活

低空飛行

私は入社直後に地方の事業所の労務課に配属になりました。給与関係の仕事をしていると、年代毎にもらえる給料が見えてきます。自分もこの会社で働いていれば、五年後、十年後にはこのくらいの給料がもらえるのか、などと勝手に期待していました。

 

過去に何度が触れましたが、結婚直後に家族のキャッシュフロー表を作りました。何年後に子どもを儲けて、何歳で家を建てて – と勝手に想定したライフプランを立てました。収入は会社の給与規程を参考に定年までのおおよその額を見込みました。とは言え、時代はバブル崩壊直後でしたので、その見込みは、自分としてはかなり控え目なものだったのです。その控え目な収入を基に、どのくらいの生活が出来るのかを考えましたが、もちろん、実際に予定どおりに事が運ぶはずはありません。

 

一番“当て”が外れたのは収入でした。毎年受け取る給料は、控え目に見積もったはずの収入をも下回り続けました。給料が私たちの期待よりも伸びないのもさることながら、ボーナスの減額が大きかったと思います。会社に入ったばかりの頃、ボーナスは生活給の一部だと勝手に思っていましたが、もはやそのような時代では無く、もらえるだけでもありがたい存在になってしまいました。

 

バブル崩壊後に就職した私は、羽振りの良い生活よりも、安定した収入が得られることを期待していましたが、その意味で、私の勤め先は超がつくほど安定した低空飛行を続けていると言えます。

 

普通の生活

私はすでに五十代半ばですが、入社以来これまで、先行き不透明な中を生きて来たことになります。親の世代が子供たちに期待していた普通の生活が普通で無くなり、背伸びしなければ届かないものから、やがて何か大きな犠牲を払わなければ手に入れられないものに変わりました。

 

平成の時代にも何度か好景気は訪れましたが、多くの企業がその恩恵に浴することが出来ても、普通の庶民の目線で生活が向上したことを実感出来た人はどれほどいたのでしょうか。少なくとも私は、自分が社会人になって以来、景気が良いと感じた時が無いままにここまで来てしまいました。私よりも上の世代が謳歌した「良き時代」は、私にしてみれば束の間の奇跡の時代に思えます。

 

奇跡がもう一度訪れるのか、二度と起こらないからこそ奇跡なのかはさておき、自分を取り巻く環境に過度の期待を抱くのは良い考えではなさそうです。

 

奇跡の時代の普通の生活が叶わなくても、豊かさを感じられる生活は可能だと私は思います。使えるお金の量に比例して幸せ度が高まるわけではありません。使えるお金が限られていても、自分の望んだ目的を達成するためにお金を投じることが出来れば、心は満たされるのではないかと考えます。

 

生きる目的が人それぞれであれば、お金の使い方も然り。そう考えると、目指すべき“普通の生活”などどこにも無いのかもしれません。あるのは、自分が望んだ目的を叶えるための生き方です。

 

程良いお金の使い方

妻と私にとって、結婚生活の早い段階に収支見込を立てたことで良かった点は、期待するほど増えないであろう将来の収入を前提に、先回りしてメリハリを考えた支出を意識出来るようになったことでした。

 

生きて行く上で必要な固定費部分を削るのはなかなか厄介ですが、ほんの少しのやり繰りでも時間のメリットを味方につけることが出来ればライフイベントのための準備は十分に可能であることが分かりました。そして、汲々とした節約生活とは別の、身の丈にあった程良いお金の使い方を覚えて、それを続けることが出来れば、老後生活の手前でのダウンサイジングで頭を悩ませる必要など無いことも知りました。

 

妻と私は当初から十分理解してこのような生活スタイルを実践してきたわけでは無く、これまでの生活を振り返って自分たちが学んだことを自覚したのでした。娘たちには親として授けられるものはあまりありませんが、私たち夫婦が身をもって学んできたお金の使い方は伝えておきたいと考えています。