和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

不自由を選ぶ自由

そうだ京都、行こう

就活生の娘が最終面接のため京都に行きました。ゴールデンウィーク前まで連戦連敗で落ち込んでいた娘にようやく風が吹き始めました。

 

面接は平日の午後。午前中に移動すれば十分間に合ったのですが、私は万が一のことを考え、娘に前泊するよう勧めました。初めての一人旅とは言え、面接して帰って来るだけですから親が心配する話でもありません。

 

すると、京都行の準備をしている娘の脇で、妻が自分も一緒に行きたいと言い出しました。抗がん剤の副作用の治まった今なら問題無いと思ったのでしょう。

 

確かに体調に問題無くても、娘の就活に親がついて行くのはどうかと私は妻に言ったのですが、それが無駄であることは良く分かっていました。決して過保護などでは無く、自分も小旅行を楽しみたいだけ。自分の子を“出し”に使う親。一人旅が不安だった娘。利害が一致しました。

 

「そうだ京都、行こう」。思い立ったが吉日の親子旅行は私の知らないうちに三泊四日に延ばされ、金曜日の夜遅くに、旅の高揚感に包まれたまま母娘は帰ってきました。最終面接の結果はまだ届いていませんが、娘にとっては – そして、母親にとっても - 思い出深い旅になったのでは、と私は勝手に想像しています。

 

不自由を選ぶ自由

実は妻も連休前から沈みがちでした。ここまでの抗がん剤治療は、主治医の先生曰く「期待していた効果が得られず」、妻はつらい治療の甲斐が無かったのかと落ち込んでしまいました。

 

結局、先生とも相談の上、別の抗がん剤を使って治療を継続することになりましたが、妻にとっては先が見えない治療を続けることに不安と苛立ちを抱いていることは想像に難くありません。

 

そう言う意味でも、娘の京都行に同行しようと思ったのは、無案内な土地に娘を一人で行かせたくないと言う親心以上に自分自身の気分転換が大きな動機だったのではないかと感じました。

 

コロナ禍の中での旅行に不安が無いかと言えば、妻よりも私の方が心配になりますが、連休後で人出もそれほど多くは無いだろうと考え妻の好きにさせました。

 

結果として、妻にとっては久しぶりの京都旅行は良い気晴らしとなったようですが、私としては、これまでの二年余りの間の自粛生活が果たして正しかったのだろうかと自問を繰り返していました。

 

治療中の妻には、体に障るからと、遠出や旅行は先の楽しみに取っておくように言い、私自身も基本的には家の中で小ぢんまりとした生活を続けてきました。

 

閉塞感や不自由を覚えながらの自粛生活は、背後で静かになり続けるノイズのような不快なものでしたが、それは、誰かに強要されたものでは無く自ら選んだ道でした。誰も私の体を縛りつけたりしていないのに、鍵のかかった部屋に閉じ込めたりしているわけでも無いのに、私が勝手に不自由だと文句を言っていただけだったのでした。

 

もちろん、感染予防には細心の注意を払う必要はあります。治療中の妻は人よりも免疫力が低下しているため、新型コロナは当然のことながら、通常の風邪にも気をつけなければなりませんし、怪我にも注意が必要です。

 

だから余計なことはしない。外出は控える ‐ そのようにしてリスクを低減させることだけを考えて、謳歌できる自由を捨ていたのです。

 

今度は落ち着いて

妻と京都に旅行したのは、もう4年以上前、知人のお見舞いに訪れたときでした。知人は京都には縁もゆかりも無い人でしたが、奥様の強い要望もあり、終の棲家をその地に求めました。この時は娘たちを家に残して来ていたので旅行を楽しむ時間はありませんでしたが、せっかくだからと一泊だけしました。

 

その夜は、先斗町の串揚げのお店で夫婦水入らずの食事を楽しんだのですが、鴨川の夜景を眺めながら他愛も無い話に興じていると、後から入ってきた隣の席のカップルが喧嘩を始めました。二人とも私たちよりもずっと若く見えました。

 

他人の痴話喧嘩に聞き耳を立てるような趣味はありませんでしたが、嫌でも聞こえてくる女性の大きな声。結婚を前提としたお付き合いなのでしょう。いつ自分の両親に会ってくれるのかと急かす女性。対する男性は、店内の目を気にしてぼそぼそと小声で女性を宥めようとしている風でした。たぶん、この店に来るまでの間も同じ話をしていたのだと察しました。

 

次第にヒートアップする二人のやり取りに、店内のお客さんが気づかないわけはありませんが、だれもが耳をそばだてていることを悟られいようそれぞれの会話楽しんでいる振りをしていたのだと思います。

 

そんな状態が10分か20分続いたでしょうか。店員さんが料理を運んできたのをきっかけに、カップルの声がようやく収まりました。私の方に向けて胸を撫で下ろすジェスチャーをする妻。

 

女性はようやく、その場の雰囲気に気がついたように、今度は小声で – でも、私たちには聞こえていましたが – ここに書くのは憚られる罵詈雑言を男性にぶつけてお店を出て行きました。男性はその後を慌てて追いかけたのですが、最後、お店のドアの前で、その場にいるお客さんやお店のスタッフに「お騒がせしました」と深々と頭を下げたのでした。

 

妻と娘から京都での土産話を聞いていた私でしたが、あの先斗町での出来事のインパクトが強過ぎて、つい頭の中はそのことで占領されてしまいました。妻にその話を振ると、「今度は落ち着いて食事がしたいわね」と一言。出来るだけ早くにその機会を作ろうと私は思いました。