和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

居場所探し

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記念旅行の計画

妻と私は来年結婚三十周年を迎えます。コロナ禍と妻の治療とでこの二年、遠出する機会も無く過ごして来ましたが、その分旅行積立が貯まっているので、来年は少し贅沢な三十周年記念旅行を楽しもうかと妻と話をしているところです。

 

思えば、過去の結婚記念日は家族の誕生日と同じような扱いで、取り立てて盛大に祝うことはしてきませんでした。銀婚式の時は私の長期出張と重なってしまい、直前に旅行をキャンセルしました。その翌年に短い休暇を利用して夫婦で旅行をしましたが、妻としてはそれでは記念旅行の埋め合わせにはならないと不満顔でした。

 

そうこうしているうちに時機を逸してしまったので、私としても是非三十周年記念旅行は決行したいと考えています。それは、妻のご機嫌取りでは無く、これまでの夫婦生活での様々な悩みの種から解放されたことを祝うためのものでもあります。

 

苦労を受け入れられる時

自分の親が老齢に差しかかってから話がくどくなるのを見て、自分はああはなりたくないと思ったものですが、妻も私も娘たちから話がくどいと言われるようになりました。

 

確かに妻と私の会話には、この間したはずの“その話”が何度も登場します。結婚直前に妻が私の預金通帳を見て、その残高に思わず小さな悲鳴を上げたこと。蓄えの少なかった新婚時代、暖房代を節約するためストーブ無しの部屋で毛布に包まりながら過ごしたこと。娘たちからは、その話は何度も聞いたからもうしないでくれと苦情を言われる始末です。

 

しかし、苦労話を懐かしく感じられるのは、それらを克服して“思い出したい想い出”になったからなので、喜ばしいことなのだと、私としては話がくどくなった都合の良い言い訳を考えてしまいます。

 

もっともその苦労は、思慮分別の浅かった若い頃の私たちが自ら招いたものなので、文字通り自業自得なのです。自分たちで勝手に苦労をして、それを乗り越えられたなどと自画自賛しているだけなのですから、娘たちに呆れられても仕方ありません。

 

居場所探し

もし、二十代半ばに妻と結婚するチャンスが訪れなかったら ‐ いろいろな知恵がついた後で結婚を考えるとなったら、私はもっとそれに対して慎重になっていたかもしれません。恋愛とは別物の結婚に伴う責任の重さを考えていたかもしれません。仕事が忙しくなってプライベートの時間が削られて結婚など考える余裕も無くなっていたかもしれません。

 

そう考えると、後先をあまり気にせずに結婚してしまったことは、私たちにとっては“結果オーライ”でした。先々の苦労 ‐ それはほとんどがお金に関することでしたが ‐ を想像すれば、あの時結婚することは無かったのかもしれませんが、無鉄砲で怖いもの知らずの二人がたまたま意気投合してしまったのです。そして、自らの退路を断ってしまったことに気づいたからこそ、結婚生活を続けるための試行錯誤に共同であたることが出来たのでしょう。

 

もう一つ、妻と私に“引き下がれなかった”理由があるとしたなら、それは、それぞれの親との葛藤でした。過去に何度か記事にしましたが、私は高校卒業後に実家を飛び出してから両親とは距離を置いていました。

 

一方の妻も、就職後に実家を離れて独り暮らしを始めていました。両親、とりわけ母親からの過干渉が理由と言いますが、あまり多くを語りません。ともあれ、帰る場所の無い二人にとっては、結婚生活の場が唯一の自分たちの居場所だったのです。

 

まだ私の老母は存命ですが、両親がすでに他界した妻にとっては、文字通り帰る場所は今の家しかありません。そのことを妻の口から語られたことはありませんが、妻にとって我が家が居心地の良い帰る場所であるようにすることが私の務めなのだと考えています。

 

三十年の結婚生活は、自分の両親と暮らして来た時間をとうに超えています。夫婦は所詮他人とは言いますが、時間の積み重ねで“他人の壁”を乗り越えられるものなのだと思います。

 

妻が現状に満足しているのかは分かりません。病気への不安もあるでしょうし、旅行を我慢しているストレスも溜まっているかもしれません。

 

長年連れ添った配偶者とは言え、幸せにすることなど出来ない無力さを私は時々感じます。逆に私は妻と一緒にいられることが幸せです。私が今出来ることは、自分の感謝の気持ちをどのように表せるかを考えることなのだと思っています。