和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

知る必要の無いこと

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義兄

妻は末っ子で一番上に姉、その下に兄二人がいます。下の兄は高校を卒業後、土木関係の技師として勤め上げ、昨年半ばに定年を迎えました。妻とは十歳も離れているので、もうそんな歳であることは言われなくとも分かってはいましたが、妻は自分以外の姉兄が現役時代を卒業してしまったことを感慨深げに話していました。

 

義兄は生涯独身を貫くと宣言し、その言葉通りに今も独身生活を謳歌しています。かつては両親から結婚を急かされたものの、妻曰く、舞い込んできた縁談は全て兄の方から断ったとのことです。

 

妻と私の結婚前夜、初めて顔を合わせた義兄から、「安月給で結婚すると決めた君は偉い」と褒められたのか馬鹿にされたのか分からないことを言われ、私の義兄に対する第一印象はあまり良く無かったのですが、杯を酌み交わすうちに、裏表も屈託も無い性格であることが分かりました。

 

義兄は、現場を転々とする仕事柄と、空いている時間を自分のために使いたいことから独り身の方が楽だと言っていました。某野鳥の会に所属していて、かつては紅白歌合戦で得票を数えたことが自慢の一つで、休みの日にふらっとバードウォッチングやキャンプするのが趣味でした。

 

引越し

そんな義兄が年明け早々、“もう少し暖かくなったら”北海道に移住すると言い出しました。聞くと、すでに湿原の近くに家を購入し、引っ越しの準備も進めているようでした。

 

義姉は、“独居老人”になって何かあったらどうするつもりだと大反対し、上の義兄も、今まで親の面倒も見ずに好き勝手してきたことを蒸し返して義姉に同調しました。妻はと言うと、表情からは呆れている様子が窺えましたが、言わぬが花とばかりに沈黙を貫いています。

 

もっとも、義兄はこれまでも独り暮らしをしてきていたので、“独居”であることに変わり無く、また、昔話を蒸し返してまで引っ越しに反対される謂れは無いのかもしれませんが、私などがそんな余計なことを言うべきでは無いのでしょう。

 

思うに、義兄が高校を出て生まれ故郷を後にして以来、ほとんど実家に寄り付かなかったのは、それなりの理由があり、独身を貫いているのも、また然りなのです。その理由に興味が無いと言えば嘘になってしまいますが、私からそのことを尋ねることはしてきませんでした。私とて、自分と自分の両親との関わり合いを他人から詮索されれば不快に感じます。誰でも一つや二つ、あえて人に言う必要の無い過去を持っているのではないでしょうか。

 

話題は逸れて

ここまで書いていて、ふと過去の嫌な思い出が頭に浮かんでしまったので、ここで吐き出しておきます。私が妻と結婚を決めた時、先輩の女性社員から耳打ちをされました。妻が以前別の社員と付き合っていて別れたと言う話でした。

 

人間関係に亀裂が生じるのを見て楽しむ人間はどこにでもいるものです。結婚間近の男女が直前で破局になれば、その楽しみも一層大きくなることでしょう。

 

妻の“元婚約者”のことは、妻本人から聞かされていました。お互いの両親同士の反りが合わず、彼氏は親を説得することも駆け落ちすることも出来ず、煮え切らない態度に嫌気が差した妻が婚約を解消したのでした。

 

そのような経緯を全て理解した上で結婚を決めたわけで、件の先輩社員の耳打ちは私にとっては何のダメージにもなりはしませんでしたが、私が不快に感じたのは、妻に対して一番の相談相手として振舞っていたにも拘わらず、陰で足を引っ張ろうとする“腹黒さ”でした。

 

私は、そのことを今でも妻に話していません。妻に同じような不快感を味わわせる必要など無いからです。事実がどうであれ、妻の中では一番の理解者で相談相手だったのですから。

 

姪の偏見

そんな私の不快な想い出とは全然別の話なのでしょうが、義兄にも両親との間にいろいろなエピソードがあって、その積み重ねが実家との疎遠と言う結果になっていたのかもしれません。義兄がどのような思いで縁もゆかりも無い土地で第二の人生を始めようと思ったのか。とても興味はありますが、やはり聞いてはいけないことなのです。

 

上の娘は別の心配をしていました。独身の男が突然引っ越してきて、周囲から不審に思われないだろうか - 私は、それはバイアスでありセクハラでもあると娘を咎めたのですが、娘は、偏見は良くないとは分かっているが、義兄の引っ越し先の隣人が偏見を持っていれば、その隣人が抱いた印象を拭い去ることは誰にも出来ない、と分かったような口を利きます。

 

最後には、娘二人で引っ越しの手伝いを理由に北海道旅行を楽しみ、ついでに隣近所に「決して怪しい者ではありません」と“伯父さん”を紹介してくる、とはしゃいで言うのでした。

 

第二の人生の始まり。期待に胸を膨らませている義兄は、自分の姪たちに言われ放題になっているとは思いもしないことでしょう。