和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

腰痛

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腰痛は忘れた頃に

先週、数年ぶりに腰痛に見舞われました。

 

家では、折りたたみ式のテーブルにパソコンと書類を広げてその前に胡坐をかいて仕事をしています。以前は、“机に椅子”で仕事をしていたのですが、契約書の読み込みをしている時には、長時間同じ体勢でいると集中力が持ちません。胡坐をかいていると、書類を読むのも目を落としたり寝そべったりと、楽な体勢を取れるので、いつしかこれが私の在宅勤務スタイルとなりました。

 

そのような状態で仕事をしていた先週のある日、目の前にあるファイルに手を伸ばした瞬間に腰部にツンとした痛みを感じ、慌てて動きを止めました。ここ数年は腰の状態も良く、そんなことはすっかり忘れていましたが、かつて腰痛を繰り返し経験した私は、危険な予兆であることをすぐに察しました。

 

何度か腰痛を経験した後、予防のため毎日のストレッチを欠かさないようにしていたのですが、この数年は腰痛とは無縁だったため、すっかり油断していました。ストレッチは、思い出した時に簡単に行なう程度で済ませていいたのです。

 

タンスの奥に仕舞いこんだコルセットを下の娘に探し出してきてもらって装着すると、ようやく腰の痛みが薄らぎました。

 

最初のぎっくり腰

私が最初にぎっくり腰を経験したのは30代半ばの頃でした。事務所の移転があり、引っ越し作業の最中のこと。足元に落ちていてた書類を拾おうと身をかがめた途端に“ギクッ”と音がして - 実際にはそんな音はしなかったのかもしれませんが、自分の中では確かに音がしたように感じました - 体を動かせなくなってしまいました。

 

部下たちに両脇を支えてもらいながら医務室に運ばれた私は、すぐに会社近くの整形外科を紹介され、部下一人に付き添ってもらって病院を訪れました。少しでも体勢を変えると襲ってくる激痛で、冬場にも拘らず脂汗が止まらなかったことを覚えています。

 

問題は次の朝でした。寝ている間は腰の痛みも和らいでいたのですが、いざ起き上がろうとしても体が言うことを聞いてくれません。妻と娘たちに手伝ってもらい30分以上かけてようやく立ち上がったはいいものの、足を踏み出すことが出来ません。こんな状態では最寄りの駅どころか、社宅の階段を下りることすら無理でした。結局それから2日ほど会社を休む羽目になりました。

 

魔女の一撃

ところが、海外駐在中に二度目の – おそらく最初の時を上回る – ぎっくり腰に見舞われました。

 

その週末は知人とのゴルフの約束が入っていました。前夜は少し早めにベッドに潜り込んだのですが、夜中に尿意を催しベッドから立ち上がった瞬間に激痛が襲ってきました。隣に寝ていた妻を起こそうにも痛みで声が出ません。

 

私はベッドにかけた両手だけで何とか体を引っ張り上げ、妻の体を揺すって起こしました。それまでにどれだけの時間がかかったか分かりません。

 

夜が明けた後、私は“病床”から携帯電話でコースを回る知人の方々にお詫びの連絡を入れました。皆さん、私の様子を心配してくれて有難いことだったのですが、私は腰の痛みと恥ずかしさで身の置き場がありませんでした。

 

その日の午後、ゴルフを終えた知人から連絡があり、カイロプラクティックのドクターを紹介してもらいました。腰痛持ちの駐在員の間では“マジックハンド”として有名な中国人の個人医とのことで、施術をしてもらえば、すぐに歩いて帰れるようになるとのことでした。

 

半信半疑の私でしたが、翌週も仕事の予定が詰まっており会社を休んでいる場合で無かったので、早速紹介された病院にアポを取って、妻の運転で連れて行ってもらいました。

 

カイロプラクティックは初めての経験でしたが、わずか15分の施術後には、腰の痛みは残っていたものの、自力で歩けるようになったのは驚きでした。しかし、妻から私はきつくお灸をすえられ、ゴルフは自粛することとなりました。

 

油断大敵

数年間調子が良かったからと言っても、自分が腰痛持ちであることに変わり無く、それを忘れて同じことを繰り返すとは、私は全く成長していません。

 

腰痛は治りかけでも何かの拍子にぶり返すことがあるので、完全に治るまで、あるいは何も無い時でも油断してはいけないのです – と以前、何度も自分に言い聞かせてきました。

 

体の不調など無いに越したことはありませんが、腰痛持ちの私としては、またしばらく憂鬱な日々を過ごすことになりそうです。