旅行とウナギ
ネットのニュースで、生活保護利用者のデモの様子が取り上げられていました。たまには旅行がしたい、ウナギが食べたい – それが憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」に欠かせないものなのか、私にはよく分かりませんが、あれが食べたい、これがしたいと言えるのは、心身が健康で、なおかつ“最低限度の生活”が満たされているからこそ、なのだと思います。
私が三十半ばで仕事をしばらく休んだ時は、体を動かしたり考えたりすること自体が煩わしく、食欲や何かをしたいという欲が湧いてきませんでした。心身ともに病んでいた、あるいはその一歩手前では、仕事などできる状態ではなく、ましてや、前向きに行動を起こす気力すらありませんでした。
ウナギと旅行が健康で文化的な生活の証なのか分かりません。それで心が満たされるのか知りません。高級レストランで食事をしてもファーストクラスで海外旅行に出かけても心が満たされない人は、結局は物足りなさを感じながら生きていくのだと思います。口にしたものを美味しいと感じ、目の前の身近な自然を素敵だと感じられる心が持てれば生きていくのは案外楽しいものですが、それは誰かが与えてくれるものではありません。
元気のバロメーター
昨春、行き当たりばったりで決行した熱海への家族旅行。思いのほか楽しく、妻や娘たちと「またどこかに行きたいね」と話していながら、この夏はそれぞれの都合がつかなかったり、宿の予約が取れなかったりして時間が過ぎてしまい、秋の行楽シーズンに突入しました。
今、家族の中で一番旅行に執心しているのは妻で、一人旅も辞さない勢いです。抗がん剤の種類が変わって副作用が和らいだこともあってか、妻は以前の調子を取り戻しつつあるように見えます。さすがに妻一人を送り出すのが心配な私は、年末年始の家族旅行を計画することで妻の逸る気持ちを押し留めています。
来月は妻の誕生月です。これまでの三年間は、妻の体調の好不調が読めなかったので、外食するにしても予約はせずに当日の様子を見てどうするかを決めていました。
ところが、今年は妻自ら店の予約を済ませてしまいました。昨年は予約が取れずに断念したお店でした。もし、当日妻の具合が悪くなってドタキャンにでもなればお店に迷惑がかかるので、私としてはとても不安でしたが、盛り上がっている妻の気持ちに水を差すのはいけないと思って見守ることに決めました。
闘病生活が始まる前まで、私は妻の行動力には感心を通り越して辟易することがありましたが、それが妻の元気のバロメーターであるなら、今はわがままな妻であってほしいと思うようになりました。