和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

タバコの話

全面禁煙

私の勤め先が入居しているビルは、今時では珍しく各フロアに喫煙ルームがありました。肩身の狭い喫煙者にとって長く憩いの場でしたが、昨春に使用禁止となってしまいました。

 

“喫煙タイム”への風当たりや社員の健康管理などいくつかもっともらしい理由はありますが、使用禁止の直接的な理由は、他のテナントの従業員がうちの会社の喫煙ルームを利用するようになったことだと同僚から聞かされました。

 

うちの社員が、“よそ者の”喫煙ルーム使用を禁止するよう総務部に求めたのが発端で、自分たちの憩いの場を失ってしまったわけです。

 

喫煙ルームは共有エリアに設置されているので、うちの会社が部外者を立入禁止とする権限はありませんが、機密保持の観点からは、社員が集う場所に社外の人間が紛れ込むのはよろしくないのは確かです。

 

もっとも、公共の場で仕事の話をしないのは常識なので、喫煙ルームも常識を弁えて利用することは可能でした。

 

ここから先は私の推測ですが、他のテナントの人たちも自分のフロアが禁煙になったので、タバコを吸える場所を探し当ててやってきたのでしょう。タバコを愛好する者同士、一緒に煙を燻らせる心のゆとりがあれば、わが社の喫煙ルームが異業種の社交場になったのでは、と元愛煙家としては少々残念な気がしました。

 

父の禁煙

私が小学生の頃は、よく父親にタバコを買いに使わされたものです。未成年、しかも小学生がタバコを買うことなど今では考えられませんが、当時はまだ大らかな時代でした。

 

父親に限らず、学校の先生も交番のお巡りさんも、自分の周りにいる大人でタバコを吸わない方が珍しかったのですから、子どもの私には理解できなかったものの、大人になると皆煙をプカプカさせて楽しむものなのだと思っていました。

 

タバコを吸えない場所はありませんでした。飲食店、駅のホーム、病院の待合室でさえ灰皿を置いているところがありました。路上喫煙も咎められることはありませんでした。タバコを吸わない子どもにとっても、タバコの臭いは生活の一部でした。

 

そんな子供時代を経て、いつしか自分もタバコを吸うようになった私でした。結婚してからも、家でタバコを吸わなければ妻に文句を言われることはなかったので、私の愛煙歴は続いていましたが、父親が亡くなる四年前ほど前に肺気腫の診断を受けたのを機に、母と妻から父親と一緒に禁煙させられました。

 

私はともかく、タバコ好きの父にとって禁煙は苦痛だったに違いありません。それでも父は最後まで母の言いつけを守ってタバコを口にすることはありませんでしたが、数年後に亡くなることが分かっていれば、思う存分タバコを吸わせてあげたかったと思います。