和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

大人になると言うこと

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大人の特権

中学に上がったばかりの頃だったと思います。当時はまだ父親の事業も上手く行っていました。父は付き合いで飲み歩くことはほとんど無く、仕事が終わって帰宅すると、ほぼ毎日晩酌をしていました。タバコを燻らせながら水割りを啜る父を見て、私は子供心ながらにそれを格好良いと思いました。

 

ある日、親の留守中に、父のウイスキーとタバコに手を出したことがありました。ウイスキーを口にした時の喉と胸が焼ける不快な感覚。タバコの煙に咽て止まらない咳。私には、酒とタバコの良さは全く理解出来ませんでしたが、大人の“特権”に対する憧れのようなものがあったのは事実でした。

 

私が酒とタバコを覚えたのは、大学入学後のことでした。当時は今ほど世間の目が厳しい時代ではありませんでした。居酒屋などでの年齢確認も無く、未成年であっても飲酒や喫煙を咎められることはありませんでした。そんな時代にあって、酒とタバコは“大人ぶる”ための道具でした。そして、酒が強いこと自体は胸を張って自慢するものではありませんでしたが、大人の付き合いの上では利点でもありました。

 

楽しい酒と苦い酒

酒の付き合いは仕事のうちでもありました。私が就職した頃は、宴席のセッティングは若手社員の役目と言う時代でした。バブル崩壊後の景気悪化が進んでいた時でしたが、それでも、取引先との接待では、二次会、三次会が付き物でした。

 

会社勤めが長くなるのに伴い酒席も多くなりましたが、楽しい酒の時間は減って行きました。恐らく、それは私が比較的酒が強く、周囲が酔い潰れるほどに自分が冷めてしまうからなのでしょう。泥酔した接待相手や同僚を介抱しながら、その相手に嫌悪感すら覚えることがありました。

 

私自身、30代半ばで仕事を長期間休む直前は、酒を美味しいと思えなくなっていました。外でも家でも、苦い液体を胃袋に流し込むだけで、全く酔いが回ることが無くなってしまいました。

 

その後、長期休養や海外駐在を経て – それと、自分自身の老化の影響もありますが – 酒を“習慣的に”飲むことを止めました。不満を解消したり、ストレスを発散したりするための道具として酒に頼ることを空しいと感じたからです。ただ単に空腹を満たすためだけの食事が味気ないものであるのと同様に、心の穴を埋めるためだけの飲酒は、気持ちを負の状態から救い上げるためにはならないと考えました。

 

数年前に海外駐在から本社に戻ってから、私は意識的に飲み仲間と距離を置くようになりました。仕事の関わり方は変えたつもりはありませんが、部内の歓送迎のための宴席や取引先との接待を除き、終業後はできるだけまっすぐ家に帰ることに決めました。

 

かつての飲み仲間や上司からすると、酒の誘いを断り続ける私は“付き合いの悪い奴”なのでしょうが、付き合い酒を減らしたことで、私としては気の重さが無くなった気がしています。

 

以来、平日はほとんど素面で過ごす一方で、週末は気分次第で妻と昼間から好きな酒を楽しむことが習慣になりました。もっとも、昨年の夏以降は、妻の闘病生活の開始に伴い、しばらく酒断ちをしていましたが、それ自体が苦になることはありませんでした。

 

アルコールは、楽しい気分を一層楽しくするためにあるのだと思います。もちろん、それが無くても楽しい気分は味わえます。子どもの頃に憧れていた大人の嗜みですが、本当の嗜み方が分かるまでには、かなりの時間がかかりました。

 

大人の証

人はある年齢に到達すれば大人になれるわけではありません。酒やタバコが許される年齢になることは、選択肢が増えるだけで、それが大人の証と言うわけではありません。

 

手に職をつけ、経済的に自立していても子供じみた人はたくさんいます。歳を重ねてからでさえ大人気ない振舞いをする人もいます。

 

私はすでに50歳を越えてしまいましたが、20代、30代の頃の、至らなかった行ないを振り返り汗顔することがあります。大人の格好をつけることは簡単ですが、大人になること、大人であり続けることは容易いことでは無いのです。