和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

偉いと思ったら終わり

役回りとプライド

誰かに対して頭を下げることは決して恥ずかしいことではありません。私は仕事柄、これまで官庁や金融機関とのやり取りすることが多かったのですが、許認可の取得や融資の承認のために何度と無く頭を下げました。

 

勝手が分からない後輩社員や部下からは、そこまで下手に出て相手の機嫌を取る必要があるのかと疑問を投げかけられてことがありましたが、私としては相手の機嫌を取ることはどうでも良いことで許認可取得や融資契約締結という目的のためなら頭を下げることなど気にするものではありませんでした。

 

ところが、原料や資機材の調達を担当する部署では社外とのやり取りは全く様子が異なります。外注先は何とか仕事を取ろうと営業活動に必死です。ひと昔前だったら調達部門への接待攻勢も行なわれていたことでしょう。そのような部署で若い頃から働いていると、多くは自分が上で、外注業者を“下請け” - 私はその呼称自体が好きになれません – として見下すような対応を取りがちになってしまいます。

 

以前、調達部門から私の部署へ異動して来た中堅社員がいましたが、彼は官庁や銀行相手の渉外担当が務まらず、一年経つか経たないうちに元の部署に送り返さざるを得ませんでした。

 

外注先から頭を下げられる立場から、自分が頭を下げる側に移ったことが、彼には耐えられなかったようです。自分の役回りと仕事に対する真のプライドは全くの別物なのですが、その区別が出来ないと本来の目的を見失ってしまうことになります。私は、目的を達成させるためには理屈だけでは通用しないことを何度も彼に説いたのですが、最後まで分かってもらえませんでした。

 

私は目的のためであれば、相手側から理不尽な要求があったとしても、法令や倫理に触れることさえなければいくらでも対応するよう努めてきました。また、こちらに非が無くても頭を下げたことが何度もありました。それは、私のプライドとは関係の無いことです。取引先に見せる顔は仕事上の演出の一部なのです。

 

自分が頭をひとつ下げることで仕事が回るのであれば安いものです。それこそ、見栄としてのプライドは守るものではなく、捨てるものなのです。

 

相手の面目を立てる

プライドは守るものではないと書きましたが、それは自分に対してであって、相手のプライド、あるいは面目は守るべきもので、誰であろうと相手が恥をかかされたと思わせるようなことはしてはいけないと考えます。これは、そもそも私の元上司のWさんから教えられたことなので受け売りでしかありませんが、私自身今でもその言葉を守り続けています。

 

Wさんとの想い出はいろいろあるのですが、私が未だに忘れられないのは、ある取引先から接待を受けた時のことでした。

 

案内されたお店に到着すると、取引先の担当者と店のご主人が揉めている声が聞こえてきました。どうやら予約の時間が違っていたことが原因のようでした。担当者は店側の不手際を詰り、お店の方は事前に時間の確認はしていたことを説明した上で、満席で対応出来ないと頭を下げていました。

 

私から見ても、店先での押し問答は他のお客さんにも迷惑になると思っていたところ、Wさんは、近くに馴染みの店があるので、と店内の電話を拝借して – 当時はまだ携帯電話が普及する前だったので – 別のお店の席を確保したのでした。

 

Wさんは、店の対応に納得がいかない担当者とその上司を宥め、お店のご主人には、日を改めて寄らせてもらうことを伝えて険悪な雰囲気を収めてしまいました。

 

それからしばらくして、Wさんから飲みに誘われました。Wさんはいつも二軒か三軒はしごをするのですが、長居はせず、さっと店に入ると小一時間で引き揚げると言った感じで、本人曰く犬のマーキングのようなはしご酒でした。

 

その時の一軒目が、例の予約間違いのお店でした。Wさんは「ちゃんと予約したから大丈夫」とおどけた様子で暖簾をくぐるとお店のご主人に気軽に挨拶をしたのですが、その様子はすっかり馴染のお客のようでした。

 

それもそのはずで、あの一件の後にWさんが何度かお店を訪れていたのでした。恐らく、Wさんとしては、予約間違いがどちらに非があるかなどどうでもいいことで、あの夜、自分の息子くらいの若造に詰め寄られて頭を下げ続けていたご主人に“申し訳なさ”を感じていたのだと思います。

 

もちろん、こちらは接待を受けた側で、お店とは直接関わりはありませんでしたが、それでも、お店とお客の立ち位置で、一方的に捲し立てる側に自分を置いておくことを良しとすることが出来なかったのでしょう。

 

“相手の本性”は、サービスを受ける側に立った時の態度を見れば分かると言います。Wさんも同じことを何度も言っていましたが、いつもそれに加えて、「自分が偉いと思ったら終わりだからな」と背中をバチンと叩かれたものでした。

 

Wさんは鬼籍に入られてしまって、もうはしご酒につき合わせてもらうことは出来ませんが、ふとした瞬間にあの笑顔と言葉が蘇ってきます。