和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分らしさを貫くには (2)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

敵と味方しかいない世界 (2)

先輩社員のKさんとの関係に悩んでいたSさんは、相談相手のT君と信頼関係を深め、やがて二人は結婚することを決めました。両名からその話を聞かされた私は、結婚後の二人の配置転換を考えなければならないと思いました。

 

ところが、私は二人から以外な話を聞かされました。Sさんは、結婚を機に – もっと正確には、結婚準備もあるため、それから2か月後のボーナス支給月一杯で退職したいと言います。

 

後になって振り返ると、私は二人に随分と失礼なことを質問したのでした。二人から話を聞いた瞬間、私はてっきりSさんの退職理由は、“おめでた”なのかと勘違いしてしまい、そう彼女に尋ねました。

 

彼女は即座に私の誤解を否定すると、T君や自分の両親とも相談して、自分が家事一切を引き受けることに決めたと言います。そこまで二人で決めているのであれば、私がSさんを慰留することなど出来ません。

 

そして、私はSさんから頼まれ事をお願いされました。Kさんに自分の結婚退職の話を伝える場に同席して欲しいと言うものでした。

 

Sさんは、ことあるごとにKさんから、結婚することに否定的な話を聞かされ、また、社内にはろくな男がいないと言われ続けていたそうです。Sさんとしては、社内恋愛の結果、結婚退職するとなると、Kさんから何を言われるか恐れるあまり、自分一人ではKさんに話をすることが出来ないのだと言います。

 

結婚や退職は本人の意志なので、Kさんの“お許し”など無用なことは言うまでもありませんが、Sさんの心配は言われなくても分かりました。私としてもKさんの反応が気になりました。

 

三者面談”はとある金曜日の夕方に行なわれました。私がKさんに、Sさんの結婚と退職の件を手短に話すと、KさんはSさんに対して、自分に隠れてTさんと“こそこそ”付き合っていたことや、何の相談も無く退職を決めたことを辛辣な言葉で非難し始めました。私がそれを遮ろうとしても、Kさんの怒りは止まりません。

 

結局、面談は30分もしないうちに、Kさんが応接室を飛び出して終わりました。Kさんは、自分の子飼いの後輩が - 彼女の言葉をそのまま使えば – 裏切ったことに我慢ならなかったのでしょう。彼女の中では、自分の味方で無い人間は全て敵なのです。

 

私は面談を金曜日の夕方にしておいて良かったと思いました。事情はともあれ、感情を抑えられないまま仕事を続けることなど出来るはずがありません。

 

勝ちと負け

三者面談の翌週からは、Sさんの業務の指示は私が直接することにし、Kさんとは仕事で絡ませないようにしました。その一方で、私はKさんともう一度話をしましたが、一旦“敵”と見なした相手に、Kさんが耳を貸すことはありませんでした。私としては、Kさんに普通に仕事をしてもらいたいだけだったのですが、それが叶わないとなれば、彼女に相応しい別の部署に動いてもらうしかないのだと思うようになりました。

 

私から相談を受けた当時の上司が、Kさんと話をしましたが、やはり埒が明きません。今まではKさんの扱いは私も含め歴代の課長が行なってきたのですが、私がさじを投げたことで、上司である部長が彼女と直接対峙することになりました。そこで初めて部長はKさんの扱いづらさを知ったのでした。

 

元来、それほど気が長いわけでは無い部長が、Kさんと険悪な関係になるのに時間はかかりませんでした。結局、Kさんを除く“有志”でSさんの送別会を開いたのですが、本来であれば、部全体で気持ち良く彼女を送り出してあげるべきでした。

 

そして、Kさんはそれから半年あまり経ってから、人事部に異動となりました。上司は彼女の異動先を探し回ったのですが、どこも引き受け手が無く、窮余の策として、人事部が彼女を引き取ることになりました。Kさんに異動を告げる際、部長と私の二人で対応したのですが、最後、彼女は「こんなことで負けたくありません」と絞り出すように言葉を吐きました。当時の私はその意味を考えることもしませんでしたが、今になって、Kさんは何と戦っていたのだろうかと、疑問が深まるばかりです。

 

自分側に忠実な人間が離れて行ってしまうことや、周囲から孤立してしまったこと、上司との軋轢、意に沿わない異動。思いどおりに行かない現実は、Kさんにとって“負け”だったのでしょうか。彼女にとっての“勝ち”はどのような状況を言うのか知る由もありませんでしたが、Sさんを含め、彼女に振り回された周囲の人間は、彼女が“勝つ”ための脇役だったのでしょう。

 

自分本位と自分らしさ

自分が恵まれていると思いたいがために、誰かを見下す者がいます。自分の方が優れていることを周囲に知らしめたいがために、誰かを蔑む者がいます。

 

他方、やり場の無いストレスを発散させるためだけに、誰かを自分の意のままに動かそうとする者がいます。幸せそうに見える誰かを妬み、足を引っ張るようなことをする者がいます。

 

自分が満たされていないと感じる時、その内面に向き合うことができれば、自分に不足しているものが見えてくるのではないでしょうか。それを避けて、他者に当たっても自分の心を満たすことは出来ません。

 

他者とのつながりの中で生きている以上、自分本位の考え方だけでは、周囲との軋轢を生みかねないことは容易に想像できるはずです。自分の心を満たすためだけに他者を利用することは、自分が気づかないうちに他者を不幸にしてしまっているのかもしれません。自分らしく生きることと自分本位は別物であることに気づけない人は、いつまでたっても心の中の燻ぶりを持ち続けることになります。