和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分に与えられた時間(2)

父親としての役割

私たちの娘二人は、海外駐在中に誕生しました。当時、男性社員は、子の出産に際して三日間の“特別休暇”が付与されましたが、実家からのサポートの無い中での三日間の休暇はほとんど役に立つものではありません。

 

駐在先での出産は、私たちが初めてのケースではありませんでしたが、これまでの前例では、親が日本から駆けつけて産後の手助けをしたと聞いていました。

 

私たちの場合は、双方の親を当てにするつもりは無く、自分たちだけで何とかしようと考えていたのですが、その陰で、当時の直属の上司や同僚、そして現地のスタッフのバックアップがありました。その結果、育児休業ではありませんでしたが、1か月間の在宅勤務が認められ、妻と私は寝不足になりながらも育児を楽しむことが出来ました。

 

しかし、帰国すると私の生活は仕事を中心に回るようになり、家族と共に過ごす時間は限られました。平日は帰宅しても幼い娘たちの寝顔しか見れず、休日も仕事が片付いていなければ出社しました。仕事の合間を縫うようにして確保した家族との時間でしたが、家族からしてみたら、自分たちは“二の次”と思っていたとしても不思議ではない状態でした。

 

妻は結婚前まで同じ職場にいたので、会社の様子は分かっていて、私の働き方にある程度の理解は示してくれたものの、それにも限界があります。子どもが生まれる前までは共働きでしたが、平日の家事に関しては、私は全く当てにならなかったので、娘たちが小さいうちは働きに出ることが出来ませんでした。

 

もし、今のように会社が社員の残業を減らすよう努め、男性社員の育児休業が制度化されていたなら、私たちの生活は全く違ったものになっていたことでしょう。

 

そんなことを今さら嘆いても詮無いことではあるのですが、子育てが大変な時期に、その苦労を妻と分かち合うことが出来なかったことに、私は一生後ろめたさを感じながら生きて行くのだと思います。

 

イクメン”が称えられるのを否定するものではありませんが、これまで女性に押し付けられていた育児に男性も“参加”出来る環境が整いつつある傾向は、父親としての役割を果たせるようになり、ようやく女性と同じスタートラインに立つことが出来るようになった、と言うだけの話なのです。

 

世の中の風潮から、私の勤め先でも男性社員のための育児休業制度が導入されて久しいのですが、実際に制度を活用する社員が出始めるには、それから大分後になってからの話でした。

 

減点主義の会社で、有給休暇を消化するにも気を遣う部署が多い中で、これまで、“休業”に踏み切るのは勇気がいることだったのは想像に難くありません。

 

それでも、最近の若手社員の中から – まだ数は多くありませんが - 育児休業制度を活用する者がちらほら現れるようになったのは良い兆しだと思います。そして、そのような社員をサポートする部署が増えて行くことによって、ようやく制度が根付くことになるのです。

 

自分が親に育てられて独立するまでの二十年近くの時間はとても長く感じられたものですが、自分が親になって子どもの成長を見守る側に立つと、その時間はあっと言う間に過ぎて行きます。親として、その役割を楽しむ時間は思いのほか少ないものです。その時間は取り戻すことは出来ません。

 

自分に与えられた時間

子どもの頃の夏休みはとても長く感じられましたが、同じ一か月余りの時間が、大人になってからは瞬く間に過ぎて行きます。加齢によって体感時間が短くなったことが理由のひとつかもしれませんが、私の場合は、ほんの2年前まで時間の優先順位を考えられないくらいにゆとりを失っていました。

 

時間の配分や管理は行なっていたはずなのですが、それはカレンダーの空白部分に仕事やプライベートの予定を埋める作業であって、自分にとっての価値基準などとはかけ離れた、はめ込み作業を繰り返していただけでした。

 

一日の時間を増やすことが出来ない以上、今自分がやるべきことを基準にして行動するしかないのですが、そんな簡単なことを、私は五十年以上気づかずに生きて来たのでした。

 

もし、妻や私が、病気になることも無く何事も順風満帆な日々を過ごしていたなら、一緒に過ごす時間の大切さや、そもそも時間の本質的な意味について深く考えることはありませんでした。

 

今の私にとっての時間は、勝手に流れ過ぎて行くものでは無く、日々与えられ、その日のうちに使い切らなければならない金貨のようなものです。そして、時間は明日も必ず自分に与えられるとは限りません。