和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分に与えられた時間(1)

残業ゼロのしわ寄せ

私が管理職だった頃を振り返ると、自分や家族のための時間がとても限られていたことに改めて気がつきました。当時は、会社での仕事と睡眠を差し引いた残りが、自分と家族に与えられた束の間の時間でした。

 

私はそれを普通だとは考えていませんでしたし、考えたいとも思っていませんでした。事実、私は自分自身と部員の働き方を変えようとしていました。

 

部の残業ゼロと言う組織目標は、部下への受けを狙ったものではありませんでした。私が海外駐在中の出向先で当たり前に出来ていたことを自分の会社でも取り入れようと思っただけなのです。

 

しかし、人手不足の中、一般社員の残業ゼロを目指そうとすると、そのしわ寄せは管理職が負うことになります。当時、どこの部署も諦めていた残業ゼロを私の部署が初めて達成しましたが、それは、部全体が業務の効率化に努めた結果であることは否定しないものの、私や部下の課長がプレイングマネージャーとして部員の手に余る仕事を吸収したことも隠れた成功理由でした。

 

その後、他の部署から余計な仕事を押し付けられた時、私たちは残業ゼロを維持するために管理職の負担を増やしました。気がつけば、私と二人の課長はほとんどの週末を仕事に当てていました。

 

業務の遂行と組織の管理、部下の監督・育成。どれも大切なことですが、一人の人間が出来ることには限りがあり、与えられた全ての任務を完璧にこなそうとして台無しにするよりは、“質”を落としてでも及第点を目指す方がまだマシだと考え、仕事の進め方の見直しを行ないました。

 

今の私から見た部の仕事振りは、その時からあまり変わっていませんが、人員削減により個々の部員の負荷は間違いなく大きくなっています。他所の部の人間からは、ほぼ残業無しで仕事が回っているのだから文句は言うなとの声が聞こえてきます。

 

私の部の部員が、残業せずに仕事をこなそうとしているのは、そもそも残業ゼロを目指した時に「終業のチャイムが鳴るまでにその日の予定をクリアすること」を目標にしたためで、今もそれは変わっていません。各部員の仕事振りを具に観察しているわけではありませんが、残業が少ないことをもって、まだ余力が残っているとか、今まで適当に手を抜いてきたのだろうと邪推するのは、部員の面々に対して失礼な話で、それぞれに仕事の密度を上げる工夫をしているからこそ、就業時間内に仕事が片付いているのです。

 

表面上仕事が回っているように見えても、人員削減のインパクトを現有部員で補っているため、業務が属人的となり、また、お互いにバックアップする余裕も無くなりつつあるため、誰かが倒れれば途端に仕事が回らなくなるリスクに常に晒されていることになります。

 

部の中で働いている者から見れば、常に張り詰めた状態で仕事をしていて気を抜くことが出来ないのは、ひたすら残業を続けて仕事をこなすことと同じくらいに精神的な負荷を感じるものだと思います。

 

精神的な負荷と言う点では、部長に一番のしわ寄せが来ているのは間違いありません。部長は春先に異動になった課長の職務を兼ねているので、忙殺されている状態が続いています。これから年末にかけての繁忙期を乗り越えるためには他部との業務再配分か人員補強くらいしか思い浮かぶ策はありません。私は何度か部長に“早めに動き始めないと手遅れになる”ことを忠告してきましたが、顕在化するまで問題を先送りするつもりなのか、組織体制の見直しまで頭が回らないのか、部長の重い腰はなかなか上がりそうもありません。

 

普通の生活への逃避

私は、管理職へのしわ寄せを解決する前に逃げ出してしまいました。役職を下りることを決めたのは、家族との時間を大切にしたい思いからであって、決して中途半端な形で後任に仕事任せようと企んでいたわけではありません。しかし、頭の片隅に仕事を投げ出してしまいたいと言う狡さが全く無かったかと問われると、私には即答する勇気が無いのもまた事実なのです。

 

役職を下りた後、期せずして、在宅勤務が定着し、妻や娘たちとの時間が増えました。今は、家族で食卓を囲むことが普通になりました。(続く)